「無知のレッスン」再考
先回は女性芸人ヒコロヒーの「村の生贄」というコントについて書いた。これはかつて女性にしばしば付与された「美しき犠牲者」というイメージを笑いに転化したものである。そしてこれが笑いになるには、こうした現象がもはや自明のものではなくなっている必要があった。そうでなければそれは悲劇ではあっても喜劇にはなり得なかっただろう。
しかし喜劇もまた、その現象の自明性の殻のようなものが残っていることを必要とするのかもしれない。わたしたちは完全に理解できないものを笑うことはできないし、完全に過去のものとなった現象を笑うこともむずかしい。笑いとは、多かれ少なかれ現在のわたしたちのなかに残っている何かを対象にするからである。
では、「村の生贄」の笑いを成立させているものは何だろうか。女性を犠牲へと追いやった旧い制度や慣習そのものだろうか。もちろんそれもある。しかしそれだけではないだろう。
ヒコロヒーは一人芝居のなかで、彼女を生贄に捧げようとしている村長に向かって、他愛ない「おしゃべり」を続けている。「おしゃべり」は私的空間における語りであり、そこにどれほど真実めいたものがあろうとも、公的な知としては扱われにくい。
「生贄」を捧げることは、現在から見れば迷信である。しかしそれはかつて、人間が世界を理解するための知でもあった。ヒコロヒーが他愛ないおしゃべりからあぶり出している世界は、今では「迷信」としか思えない、到底現代には通用しない「知」が信じられていた異世界である。それでもこの異世界のなかでも、公の知を握っているのは村長たちであり、ヒコロヒーの言葉は最後まで「おしゃべり」として扱われつづける。
「知」は男の側にあり、女性には「知」はないか、あったとしても偽物であるか、男性には及ばないか、そういうものとされていた時代は、つい最近までたしかに存在した。しかし、そうした考え方自体が今や迷信に類するものになり始めている。
それは女性の社会進出だけがもたらした変化ではないだろう。わたしたちは、かつてよりも遥かに多くの価値観が同時に存在する時代を生きている。ある場所では揺るぎない真理も、少し距離を取っただけで、どこか書き割りのように見えてしまうことがある。
ヒコロヒーのコントに登場する村長たちが揺るぎなく信じていることを、現代の観客たちは信じてはいない。しかしこのコントはそうした村長や村人たちを滑稽なものとして表現しているわけではない。彼女はただ異世界に女性の日常的な「おしゃべり」を挿入する。
その両者のあいだにある違和感が笑いを呼ぶ。そしてわたしたちはその違和感を肌で感じているからこそ、それを笑い飛ばすのである。おそらくそれは、わたしたちが一つの価値観だけが支配する世界を生きていないからだろう。ヒコロヒーのコントは、さまざまな「知」が相対的に見えてくる時代の産物なのかもしれない。
だが、そうした時代が訪れる以前には、「知」はもっと明確に誰かの所有物だった。誰が知ることを許され、誰が知らないままでいるべきか。それは長い間、社会のさまざまな場所で決められてきたのである。
そんなことを考えていて、二十年以上前に書いたある文章を思い出した。
2003年、このウェブ版『セミネール通信』の前身であるフリーペーパー版『セミネール通信』に書いた「無知のレッスン」という短いエッセイである。それは、アメリカの文芸批評家バーバラ・ジョンソンによるモリエール『女房学校』論を手がかりに、「無知を教えること」という奇妙な問題について考えた「無知の教え――女性たちの学校」という文章だった。
「無知」を教えることは可能なのか。もちろん、本当の意味で無知を教えることなどできない。何かを知らないでいるように教えるためには、その知らないでいるべき内容が存在することを、あらかじめ知らなければならないからである。
以下、2003年に筆者が書いた文を一部抜粋して引用してみよう。
「知識」を人に伝授することは難しい。「知恵」を人に授けることもなかなか骨の折れる営みである。しかしそれとは別の意味で困難な教授法がある。それは「無知」を「教える」ことである。
アメリカの文芸批評家バーバラ・ジョンソンは、フランス17世紀の戯曲家、モリエールの『女房学校』を題材として、この興味深くも厄介な問題に取り組んでいる。
「無知を教えること。おそらくこれは、ほとんどの教育者が思いもおよばぬことだろう。だいいち、構造的にも、それは不可能だ。生徒に知ってはならないと教える際、その知ってはならないことを、どうしたら生徒に知らせずにすませられるのか?ただ、なんにせよ、この難題を背負い込むことになった教授気取りの男がいた。モリエールの戯曲『女房学校』に登場するアルノルフである。」
この「負の教授法」は、幼い娘アニュスを世間から隔離して無垢なままに育て上げ、やがて自分の女房にしようとする中年男性アルノルフの願望である。
バーバラ・ジョンソンが明快に指摘しているように「アルノルフの教育的配慮を背後からつき動かしているのは、教育のある妻は夫を裏切るかもしれないという恐れであった。無知こそが、貞淑を確保する唯一の方法と思われていたのだ。」
「無知」を教えるという矛盾に満ちた行為は、知ってはならないことを空白にしておく術を教えることである。
かくして「無知」のレッスンとは、実際には「無知」を教えるという不可能な営みではなく、「無知」を装うこと、無知に留まることを、この世界で生きていくための「知恵」として教えこむ技術であるしかなかったのだ。
(榊山裕子「無知のレッスン」『知のレッスン』より)『セミネール通信2003 第6号』
ここでジョンソンが見抜いていたのは、この「負の教授法」の構造的な矛盾である。「不貞」を避けることを教えるためには、「不貞」という概念を教えなければならない。「貞淑」を教えることは、その囲い込みの周りに広がる「不貞」の可能性をも示唆せずにはおかない。無知を教えようとする行為は、必ず閾の向こう側を照らし出してしまうのである。それは言葉で明確に語られなくても、逆にそのことによってそこに「空白」を作る。その空白は、実線ではないが点線のようなものとして、教わる側に定着されるだろう。それは遠い昔の世界の出来事ではない。2003年のエッセイでも既に触れていたことだが、戦前の女性向けの「良妻賢母教育」などもその類だろう。戦後も近年まで、男性への教育が女性よりも優先されるということは普通に見られた。
聡明な女性ならその点線の間の空白を埋めようと試みるだろう。しかしそれは正規の教育によって与えられた知識ではなく、自前の推論によって獲得された知である。そのためそこから生まれる語りは、ときに「女性的な感性」や「女性的な思考」と呼ばれてきたものと重なり合うこともあったのかもしれない。そう考えると、それらもまた女性固有の本質というより、こうした空白を埋めようとする営みのなかから生まれてきたものだったのかもしれない。
バーバラ・ジョンソンもまたこの問題を、脱構築批評らしく、まわりくどい仕方で記述していた。しかし今なら、この構造をもっと端的に表現する言葉がある。
マンスプレイニングである。
2008年、アメリカの作家レベッカ・ソルニットが発表したエッセイ『Men Explain Things to Me』は、男性が女性に対して、相手がすでに知っていることさえ得意げに説明してしまう現象を描き出し、大きな反響を呼んだ。やがてこの構造は「マンスプレイニング」と呼ばれるようになり、現在ではフェミニズムをめぐる議論のなかで広く共有されている。日本でも『説教したがる男たち』として紹介され、この言葉はかなり一般的になった。
ところで、このエッセイで起こっていた現象は、単に男性が女性に上から目線で知識を披露するというだけの話ではなかった。この男性が熱弁していたのは、目の前にいるレベッカ・ソルニット自身が書いたマイブリッジ論の内容だったのである。
ここでは知の循環が奇妙なかたちで逆転している。無知であるはずの女性に向かって説明されている知識が、実はその女性自身によって生み出された知識だったのである。
筆者が「無知のレッスン」を書いた2003年には、まだ「マンスプレイニング」という言葉はなかった。だからわたしは「無知を教えること」という、いささか回りくどい表現を使っていた。しかし振り返ってみれば、そこで問題になっていたのもまた、誰が知ることを許され、誰が知らないことになっているのかという、知の配分の問題だったのである。
ソルニットがこの構造に「マンスプレイニング」という名前を与えたことの意義は小さくない。言葉を持つことで、経験は初めて共有可能な問題になる。しかし同時に、言葉が生まれるまでの長い時間――その間、多くの人がこの構造を経験しながら、それを言い表す言葉を持てずにいた時間――についても思いを向けてみたい。
おそらくそれは、水が溜まっているがまだ溢れ出さない寸前の時代だったのだろう。悲劇が喜劇へと姿を変え始める直前の時代と言ってもよいかもしれない。
だが、悲劇が喜劇になったからといって、その構造そのものが消えたわけではない。それだけでは本当に時代が変わったことを示しているとはいえない。
空白を埋めようとする営みのなかから生まれた語りは、笑いとどのように関わってきたのか。2010年、ある小さな集会でわたしはその問いを「無知と機知」というテーマで考えようとしていた。その話は次回に譲りたい。
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