「セミネール断章」再開にあたって「セミネール通信」の成り立ちから
「セミネール通信」の発行をはじめたのは21世紀の最初の年であった。
もともとこの通信は精神分析医・藤田博史の月一回開催される公開セミネールを紹介するための案内状の延長上に作られらたものであった。
フリーペーパー「セミネール通信」からメールマガジン「セミネール通信」への道のり
精神分析の公開セミネールは2003年に始まった。
しかし「セミネール通信」のはじまりはそれ以前に遡る。
藤田博史を講師に迎えて、ドール・フォーラム・ジャパン事務局主催による「人形の身体論ーその精神分析的考察」という公開セミネールが2001年から2002年にかけて開催された。このセミネールを紹介するフリーペーパーが、創作人形誌『ドール・フォーラム・ジャパン』(以後、DFJと表記)から当時の読者むけに郵送された。A42枚程度のこの印刷物が「セミネール通信」の原型である。
連載「セミネール断章」は、当時の「セミネール通信」第2号に、2001年5月30日に学習院大学百周年記念会館会議室で開催された第0回と早稲田奉仕園会館で開催された第1回の公開セミネールより、講師の一言をこのフリーペーパーに掲載したことに始まる。
このセミネールは、人形に関する箇所をピックアップして、筆者の編集によりDFJ誌に「人◇形◇愛の精神分析」というタイトルで掲載された。後に青土社から出版される『人形愛の精神分析』の元となった連載である。
この連載のテーマは「人形」と「精神分析」であったため、3時間の開催時間のなかで主に語られた「人形」以外の話は掲載できなかった。そこで著者がこれは記録に残しておきたいと思った箇所を「断章」という形で掲載したのが「セミネール断章」の初期の目的であった。
ここでは第4回セミネールの「セミネール断章」をピックアップしたPDFを取り上げておくことにしよう。第4回のセミネールは2001.9.11の翌週に開催されたため、話題はテロリスムのことになった。ここにその時の「セミネール断章」を蔵出しで掲載しておこう。
「セミネール断章」2001年9月20日
その後、2003年からユーロクリニーク文化部の主催で始まったのが、本格的な精神分析の連続セミネールであり、それは現在まで続いている。その後、会場は当初の早稲田奉仕園や東京芸術劇場から、恵比寿の日仏会館に代わり現在に至っているというわけである。
筆者自身も両者のセミネールに連続して関わり、新たにユーロクリニーク文化部から発行されることになった「セミネール通信」は、レイアウトも刷新し、初期にはフリーペーパーとして読者の方々に郵送するとともに、都内各所に置いてもらっていた。この頃のバックナンバーの一部は、ユーロクリニーク文化部公式サイトでPDFファイルの形で見ることができる。
フリーペーパー版「セミネール通信」(ユーロクリニーク文化部公式サイトアーカイブより)
なお現在上記にリンクした公式サイトで見られる「セミネール断章」は2005年以降のものである。それ以前のものはまだ公式サイトにアップされていないので、ここで2003年の「セミネール通信」をいくつか蔵出ししておくことにしよう。
「セミネール通信」2003年第2号
「セミネール通信」2003年第4号
「セミネール通信」2003年6月号(1)p.1~4, p.7~10
「セミネール通信」2003年6月号(2)p.5~6
この時期には、「セミネール断章」のほか、伊藤敬(図書館司書・学芸員)「ビブリオフィリア逍遥遊」、榊山裕子(芸術評論、ジェンダー論)「知のレッスン」、佐藤良平(文筆業)「ブレーキを踏もう」、清水由美子(ブリュッセル在住)「ヨーロッパ美術紀行」、水上雅敏(臨床心理士)「心の問題を構造から考える」(50音順、肩書はすべて当時のもの)、などの興味深い連載が掲載されていたので、この機会にそれらも合わせてご覧いただけたらと思う。
その後、インターネットの普及とともに、「セミネール通信」もフリーペーパーからメールマガジンへと移行した。「セミネール断章」はその間も連載が続いていったので、コロナ禍や諸般の事情により一時的に途切れることはあっても、2025年現在まで続いている。この一年間は諸般の事情により新しい記事を提供することができなかったが、今回ようやく提供できる手筈となったわけである。
今後ともこの連載を愛読していただければ幸いである。