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テクスト効果 (15)
  芸術編(3)



榊山裕子

人形と身分(1)


 先日、7月4日の木曜日、新宿・ゴールデン街のクレマスターにて、人形作家の四谷シモン氏と精神分析医の藤田博史氏の対談が開催された。そこで今年の2月以来、連載お預けだった「テクスト効果 芸術編」の第3回はこの四谷シモン氏と人形に焦点をあてて書いてみようと思う。

 四谷シモン氏がこの対談のなかで人形について繰り返し語った言葉がある。一つは人形とは「お札」のようなものである、という指摘であり、もうひとつは「人形には身分がない」という言葉である。前者は「人形と神」という前回のテーマに接続するものであるが、今回と次回は後者の「人形には身分がない」という言葉の意味を考えてみることにしたい。そこには四谷シモン氏個人に関わるテーマも潜んでいそうだが、ここでは「人形」一般の問題として考えてみたいと思う。さて、そうするとこの意味は大きく二つに分けて考えてみることができそうだ。ひとつは人形が「人形」の内部において身分が定まらないということ、そしてもうひとつは「人形」が人形の外部からその身分を定めることができないということである。

 前者についていえば、「人形」という言葉はあまりにも広範にわたり、それぞれの位置やそれぞれの関係性を定めるのは困難であるということ、実際、そうした試みはこれまでになされなかったわけではないが、決して成功はしてこなかったということである。ちょっとランダムに思い浮かべてみるだけでも、人形はさまざまな種類があるし、人がニンギョウという言葉を聞いて思い浮かべるイメージもさまざまであるだろう。伝統的な和人形、西洋アンティークのビスク・ドール、操り人形、子供が遊ぶ着せ替え人形、バービーやリカちゃん、ブライスやスーパードルフィやさまざまななフィギュア、蝋人形に藁人形、現代のさまざまな創作人形、かくも多岐にわたるさまざまなヒトガタが同じ「人形」の名で呼ばれているのだから、それはまるで広大なテーブルの上にさまざまな人種や宗教の民族が所狭しと住んでいるようなもので、その区画整理は容易ではない。すなわち人形は「人形」という名称によって、とりあえず放り込むことができる大きなテーブルか箱のようなものに収めてみることはできるが、その内部では秩序のない雑居状態と言えるのである。これはしばしば人形と比較される「彫刻」と比べてみるとその違いは一目瞭然である。

 またそのように雑多にわたる「人形」は、それを位置づけるべき「上位概念」を持っていない。このことも「彫刻」と比較すると一目瞭然である。「彫刻」の上位概念は「美術」である。そして「彫刻」の同位概念にはたとえば「絵画」や「建築」がある。更には「書」や「工芸」などが付け加えられることもある。しかし「人形」は、彫刻に比べると、正式な所在の場所を持っているようで持っていない。「持っているようで持っていない」と言ったのは、次回詳しく検証するが、「人形」はこの序列のなかにまったく入っていないわけではないからである。たとえば「人形」を「工芸」の一ジャンルとする考え方があり、これはたとえば東京の国立近代美術館では付属の工芸館に人形作品が収蔵されていること、また日展では「工芸美術」のなかに置かれていること、など具体的な事実を挙げることができる。しかしでは人形全てがそこに置かれてきたか、また置かれ得るかというと必ずしもそうとは言えない。「人形」の一部が「彫刻」に組み入れられることもあるし、「人形美術」「人形芸術」という言葉も存在し、それぞれ固有の意味を持っているが、いずれも普遍的な概念として定着しているかといえばどうもそうとは言いきれない。

 また増淵宗一が指摘しているように「人形は、彫刻(彫像)と同様、人間を空間において三次元的にあらわす正統的な図像(イコン)のひとつである」が、それに関する研究は、彫刻と比べると著しく遅れているのが現状である。「もちろん世に、人形についての書物は多すぎるほどある」。「しかしそれらのほとんどは、人形の技法についての書物(たとえば人形の作り方や人形劇の上演の仕方についての書物)か、あるいは人形の歴史についての書物か、あるいは個々の人形作品についての書物であることが多い。そして人形の本質について美学的に考察を試みた書物は、きわめて少ないのである」。ここで指摘されているように、人形を美学的に考察した書物はほとんどない。また人形の歴史について書かれた書物にしても、美術史が、その時代によって、また地域ごとに整備され、その知が蓄積され、それが過去から現在そして未来へ続いているのに比べ、人形史はついぞそのような体系を持たなかった。

 四谷シモンが用いた言葉、「身分」、それは基本的には人間に用いる言葉だが、それを四谷シモンは比喩として極めて効果的に用いているといえる。なぜなら「身分」とは自分の考え方や心がけ次第によってどうにかなるというものではないからだ。世界大百科事典によれば,身分とは「法または慣習によって」外側から規定されるものだというが、人形はそこでいう「慣習」に相当するものによって長い間ゆるく規定されてきたが、「法」に相当する何らかの権威ある言葉による位置付けはいまだにきちんと確定されてはいないように見える。

 だから「人形には身分がない」といっても、それは「人形」にまったく場所がないということではなかったのである。それどころか人形の場合、「人形」という言葉が通用する範囲、その領域は広大であり、それを更にヒトガタとも呼びかえるならば、更に広々とした大地がそこに拡がっているといえるだろう。ただそれらを互いに連絡させる上位概念は「彫刻」のように必ずしも一義的には定まっていないということなのである。ただ確定した上位概念がなくても「人形」は「人形」であり、それで十分そこにあり、それで十分人を喜ばせ、人を楽しませることはできるのだが、ではそれは人形であるという以外に説明することができるかといえばそれは困難といった具合なのである。人形について長い間考え続けている四谷シモンは、これまでにもしばしば暫定的な結論として、結局のところ「人形は人形である」と語ってきた。そこには二つの意味合いがあると考えることができる。ひとつは人形は、たとえば彫刻が美術に接続するような意味で接続すべき上位概念を持たないということ、まるで名前はあるが名字が定まらぬ父なし子といった具合だということである。もう一つは、しかしそれでいて「人形」という言葉で語られるものは、彫刻や美術という概念すら乗り越えて幅広い大地に拡がっているとも言えるということである。木の棒切れを組み合わせたような素朴なものから技巧をこらした生き人形やビスクドールまで、人形は人間の世界に、人間とともに幅広く存在し続けている。母なる大地のうえで人形は確かに存在し続けていて、その確かさを感じ確信するならばそれをあえてせせこましく定義づける気持ちすら失せるような具合なのである。すなわちまさに「人形は人形である」。それ以上何を望むことがあろうか、といった具合なのである。

 しかしそう達観した次の瞬間にはやはりそれだけで充足しているわけにはいかない現実に気づかない訳にはいかない。「人形は人形である」という達観にいつも留まっているわけにはいかないのは、人間の「身分」が「法や慣習」によって規定されており、多くの人は他人をこの「身分」によって評価する傾向があるように、作品もまたその「身分」によってその評価を大きく変えられてしまうことは否めないからであり、「人形」もまた社会のなかで流通していくためには、そうした規定から免れることはできないからである。そしてもう一つ重要なこと、確認しておかなければいけないこと、そして次回の主要なテーマとして考察しようとしていることは、この評価基準が、ある時を挟んでその前後で大きく変わっていたということである。たとえば先述の増淵の「人形は、彫刻(彫像)と同様、人間を空間において三次元的にあらわす正統的な図像(イコン)のひとつである」という定義が成り立つのは、「美術」や「芸術」の下位概念としての「彫刻」という概念が日本語に定着した後のことであったのだ。

 このことを今更のように考えてみる必要があるのは、たとえば人形師と呼ばれていた人、あるいは人形師のもとに弟子入りしてその技術を学んだ人でも、森川杜園や平櫛田中は明治期に彫刻家としての身分を得るが、生き人形の松本喜三郎や安本亀八は彫刻家と呼ばれることはなかったというように、人形と彫刻が袂を分っていく時期があったからである。もちろんこうした区分けは一夜にして出来たわけではなく、試行錯誤し行きつ戻りつしながら作りあげられていったのだが、いずれにしてもその変化は地殻変動に等しい大変革であったことは間違いないであろう。明治時代以降、より具体的にいえば、「美術」や「芸術」という概念が西洋から入り定着していく段階で、それがさまざまな「視覚芸術」作品や立体造形物を再配置し、「人形」もそのなかでさまざまに翻弄され、その身分をさまざまに変えながら現在に至っている。次回はこの問題について具体的に問い直してみることにしたい。