神と人形(1)〜 礼拝と展示
緩やかに移りゆく「音楽としてのプロセス」を演奏し、
それを聴くとき、人は、きわめて解放的で非個人的な
一種の儀式に参加することができる。
(スティーヴ・ライヒ)
2013年1月現在、パリのプチ・パレでは「神(々)、取扱説明書」という展覧会が開催されている最中である。世界中のさまざまな宗教のさまざまな神々がここで一同に会している。かつてはこれらの神々の前に多くの人々がぬかづき祈ったのかもしれないが、ここでは、神々の似姿が、彫刻として、オブジェとして、一同に平等に展示され、こうして並べられている神々は既に神秘的な力を失い、単なる展示物としてそこにある。
それでも、この展示(図1)は、標本を並べるように無機質な、典型的な博物館的展示の在り方とは一線を画しているように見える。なぜなら、神々の荘厳さ、神秘性を再現しようとする工夫のあとがほの暗い空間のなかに浮び上がる青色の照明から感じとれるからである。だが神々の壮厳さを損なわないようにという配慮は最終的には成功しない。なぜなら神々はこうした「平等」への配慮とはそれほど相性がよくないからである。ここでは神々は近代的な意味での「平等」や信教の「自由」を表わすかのように、平等に、そして異教の神々同士が隣り合わせに、なるべく中心を作らないように工夫されながら、並べられている。しかしそうすることによって逆にその奇妙さが際立ってしまう。なぜなら本来これらの像は、異教の神たちと同列に並べられることなど夢にも考えず、各々の神殿や教会で信仰の対象として仰ぎ見られるものであったはずだからである。
図1「神(々)、取扱説明書」展より
そして、この展示の仕方は、同じプチ・パレで昨年12月に展示された人形展 「Frimousse de créatures 」展の展示と驚くほどよく似通っている。これは人形作家による展示ではなく、シャネルやアルマーニやプラダなど著名な服飾メーカーのデザイナーによって創作された洋服を人形に着せて展示し、それを売るというユニセフ主催のチャリティ―である。つまり主役は洋服なのだが、かつてヨーロッパでは最新流行のファッションを人形に着せていた時期があったことを思えば、その長い伝統に適った展示ともいえる。
図2 「Frimousse de créatures 」展より
神と人形、奇妙な組み合わせだが、同じプチ・パレということもあり、柱のような台の上に載せて並べる展示の仕方、そして青い照明によって神秘的な雰囲気を醸し出す演出によってそれがもたらす印象は驚くほど似通って見える。そして人形もまたこの薄暗い空間でその存在感を発揮することができず、どこか寄る辺なげである。なぜなら人形は美術館や博物館といった公的な場所よりも、アットホームな私的な空間、たとえば家庭とか子供部屋といった環境に馴染むように、そこでこそ生き生きと輝くように作られているからである。両者は別の意味でこうした美術館での展示に馴染まないように見える。つまりそれはどこか場違いな印象を拭えないのである。
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かつてヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」のなかで、「芸術作品」の価値を「礼拝的価値 Kultwert」と「展示的価値 Ausstellungswert」という二分法で語った。ベンヤミンによれば、芸術生産は「魔術に用立てられる形象の制作から始まった」。それは原始的なものであれ洗練されたものであれ、宗教儀式と密接に関わっていたと考えられる。この場合、重要なのは「それ」が「存在」することであり、それが直接人々に見られることはそれほど重要ではなかった。むしろそれは「隠されている」ことを要請さえされていた。それゆえそうした神々の似姿は、人々の目に触れないところに置かれていることもしばしばであったし、見えるとしてもヴェールを通して、あるいは遥か彼方に、あるいは遥か上方に置かれていることもまれではなかった。しかしそれは礼拝的価値において、「見る」ことが価値を持っていなかったことを意味しているわけではなかった。ベンヤミンは、鑑賞者に「見られる」ことよりも、それが「精霊たち」によって「見られる」ことが何よりも重要であったと記している。つまりそれは超自然的な存在への捧げものであったと考えることができる。だからこそ「それ」や「それら」は丹精を籠めて丁寧に、時には人智を超えているのではないかと思われるほどの技量をもって作られていったのかもしれない。
しかしベンヤミンは記してはいないが、ここにはもう一つ重要な「見る」こと「見られる」ことに関する問題があるのではないだろうか。それはそこに訪れる人々がそれによって「見られる」ことの重要性である。つまり神々や精霊たちが「それ」を通してわれわれ人間を「見る」こと、人間の側に立って考えてみるならば、人間が「それ」や「それら」に「見られる」ことの重要性である。
一方、展示的価値とは、鑑賞者としての人間が「見る」ことによって、展示物に与えられる価値である。古代においては「絶対的な重み」を持っていた礼拝的価値は、次第に展示的価値にその座を譲ることになる。そしてそれは「芸術作品」あるいは後に芸術作品と呼ばれるようになる「それ」や「それら」から「魔術」的な要素が抜け落ちていく過程でもあった。そもそも「礼拝的価値」における「神々の似姿」は「芸術作品」として作られたものではなかった。それを芸術作品として人が認知するようになったのは、ベンヤミンも指摘するようにだいぶ後になってからのことであった。
「礼拝的価値」が決定的に失われるのはベンヤミンによれば、複製技術の発達によってである。写真の登場によって礼拝的価値は決定的に駆逐されはじめたというのである。しかしそれに頑強に逆らう「最後の砦」があるとしたら、それは写真に写る人物像、とりわけその「顔」であるという。なぜ顔なのかといえば、それは個人を識別するからだ、とまずは考えられよう。身分証明書に必ずその人の「固有名」と「顔写真」が並べられるように、顔は「固有名」と並んでその人の固有性を示すというわけである。しかし実はそれよりも根本的な理由が「顔」にはあるように思われるのだ。そうでなければまったく見知らぬ人々の顔写真が時折観る側の心に突き刺さるように迫ってくることはないだろう。すなわちそうした感情を人々にわき起こさせるのは、むしろそこから鑑賞者の側に向かってくる「眼差し」によるのではないかと思われるのである。
「眼差し」は、精神分析的には「乳房、糞便、声」と並ぶ「人間の根本的な欲望」の四つの基本対象の一つである。精神分析医・藤田博史は、人形作家が何故人形を作るかという問題について、それが「自分を見てくれる『眼差し』をそこに再現するため」である可能性に言及している。
人形作家の方たちに雑誌『ドール・フォーラム・ジャパン(D・F・J)』のアンケートで、人形製作において、あなたが一番力を入れているところはどこですかと尋ねたところ、「眼」と答えた人が圧倒的に多い。そういう製作の立場にある芸術家とか人間の存在の根本に立ち返って仕事をしている人たちは、眼が見る器官ではなく見られる器官だということを薄々気づいているのですね。つまり自分がどうして人形を作るのかというと、ひょっとしたらその人形に見られたいのかもしれない。(藤田博史『人形愛の精神分析』)
礼拝的価値と展示的価値のうち、前者の方が起源が古いが、前者を「見られる」ことの価値、後者を「見る」ことの価値として捉えなおしてみるならば、人間の発達段階においても「見られる」ことの方が「見る」ことに先立っているという精神分析の知見との相似性が思い起こされよう。
最初の言葉を覚える以前の子供の発達段階からいうと、視野は自分が切り開いていくものではなくて、向こうからやってくるものです。
つまりさまざまなものに眼があり、向こうからこっちを見ている、という感覚です。こちらが向こうを見るという感覚は、発達のもう少し後に出てくる。生まれたばかりの赤ちゃんは、見られている。あらゆるところに眼差しがあると言える。その眼差しのもっとも典型的なものが母の眼差しです。ところが常に見られているような状態のなかでは人間は何もやっていけない。どこかで「見られる」を「見る」に変換する作業が必要になってくる。その変換する作業が起こってくるのが生後六ヶ月位から十八ヶ月位の間です。(藤田博史『人形愛の精神分析』)
人間は最初に「見られる」という受動的な状態にある。それを「見る」ことに転換することによって人は能動的に生きていくことが可能になる。「芸術作品」(もしくは後に芸術作品と呼ばれるようになる創造物)をそこに置きながら、それを直視することなく、それを半ば神秘のヴェールや、暗がりや、高みに隠し、それを礼拝するのは、実はそれに「見られる」ためであるかもしれない。その意味で「儀式」とは人間が原初の受動的な状態を再現することであると言えるかもしれない。あるいは受動的な状態を、能動的に再現する受動と能動の中間状態にあると言えるかもしれない。一方展示的価値とは見返すこと、自らが「見る」という能動的な行為と関わっている。すなわちベンヤミンの述べた「礼拝的価値」と「展示的価値」を、作品と鑑賞者の関係として言い換えるならば、前者は鑑賞者が作品に対して受動的に関わることであり、後者は能動的に関わることであると言えるのではないだろうか。視覚的には前者は作品に「見られる」ことを眼目とし、後者は作品を「見る」ことを前提としているといえる。
礼拝的価値が失われるということはベンヤミンも指摘するように「魔術」的なものが人間の文化において力を失っていく過程でもある。「儀式」と共に存在していた「魔術」的なものは「儀式」の簡略化、ついにはそれがなくなることによって失われていくことになる。また作品自体も「展示可能性」が増大するにつれてその魔術的なアウラを喪失していく。そして展示可能性は移動可能性でもある。「あちらこちらへ運べる胸像の展示可能性は、寺院の内部に固定されている神像の展示可能性よりも大きい。タブロー画は、これに先行したモザイク画やフレスコ画より、大きな展示可能性をもつ」(ベンヤミン)。作品の複製技術の発達により展示可能性は更に増大し、芸術作品のアウラを保っていた作品の「一回性と耐久性」もまた、複製技術による「一時性と反復性」にとって変わられることになり、礼拝的価値は更に駆逐されていくことになる。たとえば「彫刻」と呼ばれる一連の作品は、礼拝的価値から展示的価値への途上にあると言える。それが完全に礼拝的価値を失っていないのは、オリジナルで一点ものの芸術作品としてのアウラが「礼拝的価値」を果たしていると言えるからであろう。
そうした礼拝的価値が決定的に失われたのは写真によってであったと考えたベンヤミンが、写真によって礼拝的価値が駆逐され展示的価値が完全に打ち勝つ証左として挙げたのが、ウジェーヌ・アジェの人影のない風景写真なのであった。
アジェの代表的な写真として評価されているのは、上記のように人影のない都市の光景を撮った作品である。ベンヤミンによれば「写真から人間が姿を消すところでは、初めて展示的価値が礼拝的価値に真っ向から向かい合い、これに打ちかつ。この成り行きを明示したところに、アジェの写真の比類ない意義がある」のである。
しかし写真には興味深い別の面もある。それは写真が撮影者の意図を超えたところで何ものかを写し撮ってしまう可能性である。それをベンヤミンは「写真における無意識的なもの」と呼んだ。
カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって意識に織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである。たとえば人の歩き方について、大ざっぱにではあれ説明することは、一応誰にでもできる。しかし<足を踏み出す>ときの何分の一秒かにおける姿勢となると、誰もまったく知らないに違いない。写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って、それを解明してくれる。こうした視覚における無意識的なものは、写真によってはじめて知られる。(ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」久保哲司訳)
これは文字通りに受け止めるならば、写真は人間が自分が撮ろうとしているもの、人間が意識的に見ているものだけではなく、それ以外のものも瞬時に写し撮り、それを新たな技術という補助手段によって解明してくれる、ということ、すなわち写真の側、あるいはものの側にある無意識が写し撮られていると考えることができよう。フロイトと同時代を生きていたベンヤミンが書いたこの示唆深い言葉は、その後ロザリンド・クラウスによって『視覚的無意識』(1993)のなかで再定義されることにもなるのだが、ここでは、先述の精神分析理論が明らかにした「眼差し」の問題から考えてみることにしたい。
すなわちそれは人間が登場しない風景写真には「眼差し」がないのだろうか、という問題である。対象を写し撮るのは機械だが、対象を選びシャッターを押すのは人間の仕業である。また撮影した写真のなかからこれという作品を選ぶのも、またそうして選ばれた作品を観るのも人である。つまり先述の人形作家と眼差しの関係の在り方をここに当てはめるならば、人は、人影のない風景写真のなかにさえも「眼差し」を探し、それを自分でも知らないうちに見つけ出している可能性があるということである。すなわち、ある写真にテーマや意味付けといった言葉による枠組を与えるにせよ、その写真には何の意味もないからこそ価値がある、と言葉で意味づけるにせよ、それがその人の心を捉えて離さないとしたら、そこには写真が写し取ってしまった「眼差し」があるのではないか、あるいは人はそこにそれを知らずに読み取っているのではないか、と考えてみることができるのではないかということなのである。具体的にはたとえば画面の背後からこちらに向ってくるように見える光、小さな窓、ちょっとしたしみや穴などがそれに該当するかもしれない。子供の頃、夜中に天井を眺めていていると天井の穴がなにものかの瞳に見えてくることがあるように、人は眼に見える景色の中に眼差しを探し求めているかもしれないのである。そしてそうした眼差しが作品のなかに垣間見られるのだとしたら、それは儀式や魔術とともにあった「礼拝的価値」が別の形をとって作品の上に表われたものであるとは言えないだろうか。人は魔術から自らを脱却させて文明を進歩させてきた。その過程で儀式や聖なるものに対する多くの感覚が失われていったが、それは今もこうした断片的な形で芸術作品のなかに秘かに息づいているのかもしれないのだ。
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ここでもう一度冒頭の神と人形の近似性に立ち返ってみたい。太古の儀式に使われていた「神々」の似姿を象った造形物は、現在のわれわれの眼から見ると彫刻というよりは人形に近いものが数多く見られる。それらの作品とよく似た人形は、今も子供の友だちとして、時には子供が迷ったときの導き手として、子供部屋でその眼差しを子供たちに向けている。そこで両者の間に交わされる約束事や会話は、「遊び」と名づけられながらもその儀式性の片鱗を保ち続けている。ベンヤミンは人間が自然的傾向性から距離をとり始めるために用いた「技術」の一つとして「遊戯」を挙げている。真剣さを遊戯性に変換すること、儀式を遊びに変えることによって、人はそうした「魔術」的なものとの関わりを自分の人生の幼い時期に封じ込めたのであろうか。
冒頭で問題にした、美術館という「展示」空間に置かれた時に、「神(々)」や「人形」たちが発してしまう場違い感、それは両者がそもそもこうした展示を前提として作られたものではないからである。神(々)は、本来、帳のむこうや、遥か仰ぎ見る高所や人々のいる場所とは区切られた場所に置かれなければならなかった。ところがそうした場所から取り出され、並列的に並べられたとき、それらが放っていたアウラは失われてしまう。そこにいかに疑似的に神秘的な空間を作ろうとしても、その魔術性は戻ってくることはない。なぜならそこでは鑑賞者が神(々)を見る位置に置かれるのであり、そのことによって両者の立場は逆転してしまうからである。一方人形もまたアットホームな「親密な」空間のなかでこそ、持ち主に向って語りかけたり、眼差しを向けることができるが、展示空間においては、一方的に見られる側に回ってしまうことによって、それらは鑑賞者に向かって眼差しを投げかけたり、語りかけたりする小さな「魔法」を発揮することができないのである。
いずれにしても人形は、この魔術的なもの、精神分析でいう「不気味なもの」を今に残す数少ない創作作品である。次回はこの「人形」の問題についてもう少し考えてみることにしたい。