日本と父(3)
3)父とキリスト教
明治21年6月、伊藤博文は憲法制定の根本精神について述べた際に、憲法を制定するに際して、「我国ノ機軸ヲ求メ」る必要があることを滔々と述べた。何故ならこの国には憲法を作るために必要な「機軸」が見当らないと考えられたからである。その際、日本には機軸となり得るような「宗教」がないことが重要な事実として指摘されていた。欧州において宗教が人々をまとめあげているような役割を日本の宗教は到底果たし得ていないというのである。すなわち「(欧州においては)又宗教ナル者アリテ之カ機軸ヲ為シ、深ク人心二浸潤シテ、人心此二帰一セリ。然ルニ我国二在テハ宗教ナル者其力微弱二シテ、一モ国家ノ機軸タルヘキモノナシ。」欧州の宗教に比べれば、仏教はその役割を到底果たし得ず、神道もまた「宗教トシテ人心ヲ帰向セシムルノ力二乏シ」とされたのである。そしてこの国を見渡してみるならばこの「機軸」の役割を果たし得るものは「独リ皇室アルノミ」とされた。それは主権在民が実現されないこと、すなわち「決して主権の民衆に移らざる」(明治22年の伊藤博文発言)ためにも必要だったのである。かくして急ごしらえで「近代」を獲得する必要に迫られそれを見かけだけでも実現させていく一方で、それに否応なくまとわりついてくるはずの人民の主権意識を極力目覚めさせないために「國体という名でよばれた非宗教的宗教」(註1)が発明されることになる。それは伊藤博文の発言にはっきりと残っているように十分自覚的になされながら、まるで無自覚に「自然」にそうなったかのようにこの国に浸透していくことになる。こうして新しい「国家体制」には「ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品を兼ねるという巨大な使命が託された」(註1)のであった。大日本帝国憲法下の日本において「國体という名でよばれた非宗教的宗教」がどれだけ人々の心に食い入って「機軸」もしくは「機軸もどき」の役割を果たしていたかを少しでも知る者から見ると、それまで日本では宗教が大変「微弱」であり、とても「国家の機軸」になるようなものではなかった、という伊藤博文の分析にはあらためて驚かされる。そして「ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教」が「機軸」がはなはだ「微弱」な日本に背後から与えた影響の大きさにあらためて驚かされるとともに、多くの文物を野方図と言ってもよいほどに輸入するこの国で、その時々の権力者によって目の敵にされてきたキリスト教の、他の宗教にはない特性はなんだったのだろうかということが気にかかってもくるのである。
実は、他の宗教と異なるキリスト教の特異性については、この連載の第一回で、ルネ・ジラールのスケープゴート論の「続き」として指摘していたことでもあった。そこではキリスト教はスケープゴートに対する考え方に決定的な転回をもたらしたのではないか、というルネ・ジラールの考えを紹介した。そこでここではまずあらためて第一回の文章からその部分を引用してみることにしたい。
「文化」の発生時には「スケープゴート」が必要であったろう。しかし「文化」の発達は、生きた人間を犠牲にすることを必ずしも「よし」とはしなかった。そもそも「スケープゴート」という言葉の由来は「人間」の代わりに「山羊」を生け贄とすることであった。山羊ではなく「人形(ヒトガタ)」を用いるという方法もそうだが、それらは、野蛮さからの脱却、文化の進歩の一つの過程であったと考えることができる。しかしそうした代替案は何ものかをスケープゴートに用いるという点では人間を犠牲に供することと構造的には変わっていなかった。それに対して、もっと抜本的な解決はないのかと問いかけ、いや、それは既になされていたのではなかったのか、この難題に対してコペルニクス的転回を果たしたのが「キリスト教」だったのではないか、という一つの回答を示したのが、ルネ・ジラールが示した「スケープゴート」論の「つづき」なのであった。よく知られているようにイエス・キリストは磷付となって、人類の罪を贖うためにいわば「スケープゴート」として自らの身体を捧げる運命を背負っていた。しかし彼は「生け贄」としてそのまま死んでいったわけではなかった。彼は「復活」したし、あまつさえ自分を磷付にしたものたちを「許す」と語ったのである。そしてそれは人類にとって歴史的な一大スキャンダルなのであった。
「許す」と口にすること、何故それがスキャンダルなのか。それは「スケープゴート」に一切の罪を押し付けて、生き残った大多数の人間たちにその「罪」について考えさせる契機となったからである。「許す」という一見寛容なこの言葉を発すること、それは、罪の告発以上に効果的な一撃ではなかっただろうか。「許す」と言うからには、そこには本来「許されない」罪があるということを暗に示しているのだから。そして「許す」というのは、殺されるものが実は「無実」であることを強烈に告発する言葉でもあるのだから。驚くべきことに「許す」という一言によって、「罪人」を指し示す矢印は、殺された人間の側から、ぐるりと逆転して大多数の生き残った人間の方に振り向けられることになったのである。生き残った大多数の人間たちは、それ以後、自分たちの罪について、考えざるを得なくなったのである。(榊山裕子「テクスト効果」第一回)
指導者を持つ集団を維持するために、愚かな人民たちに差し出す餌として、罪あるものとしておくべきスケープゴートが、自らの無実を効果的な方法で訴えはじめるとしたら、それはその時々の施政者にとっても、自分の心を平穏に保っておきたい大多数の人民たちにとっても、大変都合の悪い存在であったろうことは想像に難くない。しかしこの流れは様々な弾圧や誤解に晒されながらも絶えることはなく、長い年月をかけて徐々に浸透し現在に至っている。ルネ・ジラールはそのことを次のように指摘している。
中世後期以来、人間の大きな機構は同じ方向へと進展している。その向かう先は、公的・私的権利、刑法体系、裁判制度、個人の地位である。初めはとてもゆっくり変化しているが、しだいにリズムが速まり、俯瞰的に見れば、進展はつねに同じ方向に向う。つまり、苦痛の軽減へ、そして、潜在的犠牲者の大掛かりな保護へと。
われわれの社会は奴隷制を廃止し、ついで農奴を廃止した。のちには、子供たちの、女の、老人の、外から来た外国人の、国内の外国人の、保護が、また、貧困や「低開発」との闘いがやってきた。もっと最近では、医療的ケア、障害者保護等々が世界に広まった。
毎日新しい敷居が越えられている。地球の何処かで災害が起こると、被害を受けていない国々は救援を差し向け、救助活動に参加する義務を感じる。読者のあなたは、それを現実的というより象徴的な身振りなのだ、と言うだろう。その身振りは、威光を気に懸けているだけなのだ、と。おそらくそうかもしれない。だが、われわれの時代以前のどこかに、国際的相互援助が諸国家にとっての威光の源泉となったことがあっただろうか。
まとまりを気にせずにさまざまに取り集めてみたこれらのことを統一する唯一の項目は、犠牲者への気遣いである。(ルネ・ジラール『サタンが稲妻のように落ちるのが見える』より)
こうした「犠牲者への気遣い」にもかかわらず、新たな犠牲者が相変わらず作られ続けていることは確かである。しかしたとえばこうして筆者が「犠牲者は相変わらず作られ続けている」と指摘してしまうこと自体、そこには犠牲者への気遣いあるいは罪悪感が顔をのぞかせている。このように強迫的とも言えるほどの犠牲者に対する心遣いが必要な現代という時代に対する違和感はこれまでしばしば語られてきたが、それでもその心遣いの連鎖は留まることを知らない。筆者が知る例としてはたとえば1970年代のアメリカの第二派フェミニズムの例がある。当初声をあげたフェミニストは男性に対してその差別を訴えて自らを犠牲者の位置においたわけだが、その同じロジックを用いて、その主張がいかに白人中産階級の異性愛の女性に偏っているかということを、非白人女性や同性愛者の女性から批判された。こうした批判は次々と連鎖していった。何故なら誰もが自分の足下には目が届かずに何ものかを踏みつけ続けているからである。つまりこの「犠牲者への気遣い」は終わることがないのである。犠牲者に対する心遣いがないことを理由に新たな犠牲者が作られることもあるが、そうした事態が生じた場合には、今度は新たに犠牲者になった者が、その不当性を同じロジックを用いて告発することになる。かくして人類に対する犠牲者の側からの問いかけや告発は止むことを知らない。それを肯定的に考えるにせよ批判的に捉えるにせよ、そこにキリスト教の影響が色濃くあったのではないか、ということについて次回はもう一つ別の角度から考察してみることにしたい。(つづく)