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テクスト効果 (10)



榊山裕子


日本と父(2)


2)男性間の文化継承とはそもそもどのようなものなのか

 「父から子への文化の伝達を、日本的伝統か外来思想か、の二者択一で考えると、外来の父を選ぶか、土着の父もしくは母を選ぶか、というあまりにも単純な問題設定になってしまうが、丸山眞男や白州次郎らのテクストから見えてくるのは、文化とはもう少し複雑で豊かなものであるという当たり前の事実である」

 先回の「テクスト効果」の末尾で、このように書いたが、これは日本に特殊な問題であったのかと言えばそうではない。外来の進歩した文化を前にそれまでの文化が駆逐されていくことは、多くの文明や文化においてしばしば起こってきたことであり、その意味でこれは日本に起こった特殊な事例ではない。それまで培われてきた土着の文化が何らかの理由で失効し、その代わりにより強力な文化が侵攻してくること、その際、父から息子への、あるいは男性年長者から年少者への文化の継承がスムーズに行かないということは決して珍しいことではないだろう。それは侵略や征服による場合もあるし、様々な理由から、進んで受け入れるケースも考えられる。その時起こるのは父の権威の一時的な失墜であるかもしれないが、しかしそれもまた別段日本だけに特殊な現象ではない。異なるのはそうした事態がどのような状況においておこったか、人々はそれに対してどのように対処してきたか、そしてどのような言説によってその状況を乗り越えてきたか、あるいは正当化しようとしてきたか、であろう。

 しかしそもそも、男性間の文化の伝達とは、こうした外からの脅威にさらされない通常の状態において、すなわち純粋な形においてどのようなものであったのだろうか、あるいはどのようなものとして考えられてきたのだろうか。今回はこのテーマについて幾つかのテクストを通してあらためて考えてみることからはじめてみたい。

ホモソーシャリティとホモフォビア

 この問題を世代間の文化伝達の問題としてよりまず、同性間の文化伝達の問題として考察したのは、アメリカの女性社会学者で文学研究者、またジェンダー論で知られるイヴ・K・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick 1950-2009)である。彼女は 1985年に著された BetweenMen: English Literature and Male Homosocial Desire(『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』)で異性に対して排他的な男性間の文化継承の問題を考察した。そこで使われたのが「ホモソーシャリティ」という概念である。

 「ホモソーシャリティ」homosociality は「性的かつ/あるいはロマンティックな愛の関係を伴わない」同性間の関係を表わす。ちなみに、これを「男性同士」と限定するのは誤りである。このような誤りが起こるのは、日本語で「ホモ」という言葉が男性のホモセクシュアリティ即ち男性同性愛を意味するからであろう。実際にはhomoはギリシャ語で「同じ、同一の」を意味する接頭辞であり、ホモソーシャリティは文字通り同性間の社会的関係 social relationship を表わす。この言葉は比較的新しい造語であるが、現在では概ね彼女の提示した意味において使用されている。

 セジウィックによればもともと「ホモソーシャルという用語は時折歴史学や社会科学の領域で使われ、同性間の社会的絆を表」わしている。男性にも女性にもこうした絆は存在するが、男性間のホモソーシャルな絆は、女性(とりわけフェミニスト)から見ると「家父長制」(註1)を維持し、男性による女性支配を可能にする堅固な男性間の絆として映っている。こうした男性間の絆についての指摘は、セジウィック以前にもフランスのリュス・イリガライの「商品たちの間の商品」などでも既になされていた。ただしイリガライにおいては直接の性愛の対象は女性(すなわちヘテロセクシュアル)である男性間の性愛関係を伴わない絆に対しても「ホモセクシュアル homosexual」という言葉が使われていた。 

 セジウィックの論考が画期的だったのは、まず第一に、「この用語は、明らかに『ホモセクシュアル』との類似を、しかし『ホモセクシュアル』との区別をも意図して造られた新語である」ことを踏まえて、ホモソーシャリティ homosociality の意味が及ぶ領域とホモセクシュアリティ homosexuality(同性愛)の意味が及ぶ領域の違いを明確にしたことにある。
 またもう一つの功績は、「『男同士の絆』を結ぶ行為」としての男性のホモソーシャリティが現代の西欧社会において「強烈なホモフォビア、つまりホモセクシュアリティ(同性愛)に対する恐怖と嫌悪」を「その行為の特徴」とすることを示したことである。それまでは性的関係を伴わない社会的絆としての同性間の関係にも「ホモセクシュアリティ homosexuality (同性愛)」という言葉がしばしば使われていたために、現代の男性のホモソーシャリティに多く見られる「ホモフォビア homophobia(同性愛嫌悪)」の傾向が見極めにくかったのである。
 確かに現代の西欧社会において男性間のホモソーシャルな絆とホモセクシュアルな絆とは互いに排他的であり断絶しているように見える。現代のホモソーシャリティはヘテロセクシュアリティ(異性愛)によって維持されホモソーシャリティはそこから徹底的に排除されている。
 しかし奇妙なことにこのヘテロセクシュアリティ(異性愛)の仕組みには実はホモセクシュアリティ(同性愛)が入り込んでいる。
 家父長制社会における「へテロセクシュアリティ(異性愛)」の仕組みを、異なる共同体間の「女性の交換」に見出したのはレヴィ=ストロースだが、彼は、「婚姻」は「ひとりの男とひとりの女」の間に成立するものではなく、「男性からなるふたつの集団の間に成立するのであり、女性は婚姻相手としてではなく交換される物のひとつとして姿を現す」ことを明らかにした。女性の交換が、二つの男性集団の絆を強固にし、両集団の利益に供するのであり、そこで結びつくのは「女性」という「もの」=「商品」を介した男同士なのである。
 家父長制における男性間のホモソーシャリティの維持にはヘテロセクシュアリティが不可欠であり「男性中心の親族体系には『強制的異性愛』が組み込まれている」。それ故そこでは男性同士のホモセクシュアル(同性愛的)な欲望は抑圧され、それはホモフォビア(同性愛嫌悪)という形で同性愛者を迫害することになる、と考えられる。
 セジウィックはこのように男性間の「ホモソーシャリティ」の仕組みを解明した。

 しかしセジウィックの論考は、ホモソーシャルとホモセクシュアルが互いに排他的であることを通時的にも共時的にも正しいと主張した訳ではなかった。『男たちの絆』及びその後に書かれた Epistemology of the Closet 1990 (邦訳『クローゼットの認識論』1999)において彼女が証明したのは、こうした排他的関係がはっきりと見られるようになるのは、西欧においては19世紀末のことに過ぎないということであった。
 家父長制文化においてホモソーシャルとホモセクシュアルは常に排他的であったわけではない。彼女はそのことを古代ギリシアの場合を例に挙げて次のように指摘した。

      しかし、大抵の家父長制には構造上ホモフォビアが組み込まれているので、家父長制は構造的にホモフォビアを必要とする、と結論を出すにはまだ議論の余地があるだろう。たとえば、最近刊行された『古代ギリシアの同性愛』の中で、K・J・ドーヴァーが論じる古代ギリシアの場合を考えると、そう結論づけるのは無理のようである。ドーヴァーの論証するところによれば、男性同性愛は広範に見られる合法的行為であり、文化の中でも極めて大きな影響力をもっていたという。年長の男性が思春期の男性を求める行為は、階級に従ってしかも市民階級内では年齢に従って厳密に制度化されていた。その行為は、ロマンティックな異性愛を連想させるステレオタイプ(征服、降伏、「残酷な恋人」、愛の対象側の欲望の欠如)によって説明されており、それによると、受動的な役割は少年に割り当てられていた。しかも、少年もやがて成人になるため、役割が生涯変わらないということではなかった。したがって、この恋愛関係は対象となる人間にとって一時的に抑圧的であったものの、極めて教育的な機能をも果たしていたと言えるだろう。(『男同士の絆』)

 上記の記述によれば、古代ギリシアにおいては、ホモソーシャリティとホモセクシュアリティは互いに排他的であるどころか、むしろここでのホモセクシュアリティは、家父長制を維持する機能としてのホモソーシャリティを支える重要な機能を果たしていたことになる。
 注目すべきは、ここでのホモセクシュアリティが年長の男性と思春期の少年との関係、いわゆる「少年愛」を指すことである。しかもその少年は古代ギリシア社会において支配者階級である市民階級の出身者であり、少年は受動的な役割からやがて彼自身が能動的な役割を果たすことを約束されている。「少年はアテナイ市民の慣習と美徳を習得する弟子であり、この絆を通して市民の特権を受け継いだのである」。そして「この特権には、男女を問わず全奴隷および(自身の階級の女性をも含む)全女性の労働力に対する支配権が含まれていた」。それは「性愛の要素が附加された師弟の絆」であり、幹部候補生育成とでも言うべき一種のエリート教育の趣が垣間見えるのである。ここでのホモセクシュアリティはヘテロセクシュアリティとも両立し得たしまたそうするべきとされていた。これらの少年たちはやがて成人して妻を迎え家庭を治めることも期待されていた。そしてその少年自身がいずれ自分がかつてそうであったような少年と契りを結ぶ年長者の男性となり得ることもまた期待されていたのである。

        したがって、家父長制を維持するためには異性愛は必要だけれども、ホモフォビア(少なくとも男性同性愛に対する嫌悪)が不可欠であるとは限らないーーーこうギリシア人の例は証明しているように思われる。(『男同士の絆』)

 かくしてセジウィックは次のように結論づけることになる。
 ホモフォビアは家父長制にとって必然ではない。

ミソジニーとホモフォビア

 たしかに、ホモフォビアは家父長制にとって必然ではない。しかし男性におけるホモフォビアは、必然的にミソジニーを内包している、とセジウィックは主張する。

      ただしホモフォビアの中でも、男性が他の男性に向けるホモフォビアはミソジニスティックであるし、おそらく汎通的にそうしたものであるということは指摘しておきたい(私は「ミソジニスティック」という用語を、男性が自分の中に存在するいわゆる「女らしさ」に対して抑圧的な場合だけでなく、女性に対して抑圧的な場合にも使うことにしている)。(『男同士の絆』)

 セジウィックはここで、ホモフォビアに潜むミソジニーを指摘している。すなわちミソジニーとは実在する他者としての女性を嫌うことであると共に自らの内にある「女性性」(註2)を遠ざけようとする傾向である。この内なる「女性性」に対するミソジニーは男性にとって決して消し去ることの出来ないものであるように見える。ミソジニーは内なる「女性性」を忌避しようとする「アブジェクシオン(忌避作用)」によって起こると考えられる。「女性性」とは人が自然から文化へ移行する際にその引力圏から飛び立たなければならない地球(テラ)であり、断ち切らなければならない臍の尾であり、それを嫌悪することはそれに惹かれ続けていることの裏返しである。 

 またこの自分の内なる女性性を認めることは男性にとって自らの「男性性」が脅かされることである。それ故男性は自分のうちなる女性性を拒否し続けなければならないように宿命づけられているように見える。フロイトの「終わりある分析と終わりなき分析」はこのことについて興味深い指摘をしている。

      われわれは、分析治療を施しているうちに陰茎願望 Peniswunsch と男性的抗議 männlicher Protest にまで達すれば、それですべての心理的な地層を貫いていわば人工の加わらない「自然のままの岩石」につき当たったのであり、仕事はこれで終りであるという印象をしばしばもつものである。これはおそらく本当であろう。というのは、精神的なものにとっては、その基盤をなす自然の岩石の役割を実際に演じているのは生物学的なものだからである。女性的存在の拒否ということは、一つの生物学的事実、性というこの大いなる一つの謎(註)以外のものではありえないわけである。

 註)われわれは「男性的抗議」という概念の意味を、受身的な立場、つまり、社会的に見て女性的な態度を取ることすべてを男性が拒否しこれに反対するというふうに理解すべきではない。そのような男性はしばしば女性にたいして被虐的態度、むしろ隷属性をさえ露骨に示すという、観察しやすい証拠によってこの見解は否定されるだろう。この種の男性はただ他の男性との関係の中における受身性だけを拒むのであって、受身性 Passivität 一般を拒むものではない。換言すれば、「男性的抗議」は実際のところ去勢不安 kastrationsangst に外ならないのである。(フロイト「終りある分析と終りなき分析」)

 男性は男性の精神分析家に対して受身的な立場をとることに強い抵抗を示すという。それは受身的な立場をとることが、去勢されることである、と彼には思われるからである。こうした男性的抗議は「去勢不安」であることをフロイトは指摘した。

古代ギリシアのホモセクシュアリティとイニシエーション

 フロイトが指摘するように男性にとって「去勢不安」を呼び招く受身的態度に強い男性的抗議が生じるのだとしたら、年長者の男性と少年との関係にもそれが反復されることはないのだろうか。少年にもともと倒錯的傾向がある場合ならばこの場合比較的問題はないかもしれないが、そうでないとしたらそこに強い「男性的抗議」が生じる可能性があるのではないか。またここでのホモセクシュアリティがその時期やその在り方を制限されたものであり、ある時期がくれば、この少年は男性として権力の側にある者として能動的に振舞うことが期待されているとしたら、少年にこうした受身を強いる行為は少年の育成に影を落とすことはなかったのだろうか。
 この問題に関してはセジウィックの記述にはあまり多くのことは書かれていない。むしろ男性の心の葛藤に関わるこうしたデリケートな問題は、ミシェル・フーコー (Michel Faucault)の Histoire de la sexualitéⅡ,l’usage des plaisirs, 1984 (邦訳『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』1986)に詳細に書かれていることである。
 フーコーはそこで古代ギリシアにおける同性愛について詳しく語っている。そこで彼が再三述べるのは「若者」の「名誉」に関する問題である。
 自由民である男性に何らかの形で従属する女や奴隷と違って、これらの若者は将来統治する側に回らなければならない。それ故彼らへの教育は女性に対するそれとは自ずと違ってくる。

      家族固有の権力関係ならびに支配形式について論じながら、アリストテレスは家長とのかかわりで、奴隷の立場と妻の立場と子供(男の)の立場を規定する。アリストテレスによると、奴隷を支配するのは自由民を支配することではなく、妻を支配するのは「政治家的」な権力を行使することであって、そこでの関係は恒久的な不平等であるが、子供の支配は逆に「王的」なものと言ってよい、なぜならその支配は「愛情と年齢上の優位にもとづいて」行なわれるからだ。(ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』)

 若者との愛情はこの延長上にある。年長者である自由民はその構成員である若者との間に奴隷や女に対するような恒久的な「受動性」や服従や不平等を強いることを避けなければならないし、また若者もそのように振舞うべきではない。そこでは対等な関係が前提とされている。

      要するに若者は、相手が快楽を楽しもうとして求めている何かを、心遣いによって、したがって自分自身の快楽とは別のことのために与えなければならない。しかし相手が快楽を正当に求めようとすれば、そこには必ず、こちらに与えられる《贈物》[つまり愛欲の]とは全く別次元の、贈与や恩恵や約束や誓いの代償をともなうのである。そこから生じるのが、若者愛にかんするギリシャ人の省察のなかで、きわめて明らかに目立つ次の傾向である。すなわち、どのようにして、この交渉をいっそう広範な一つの総体のなかに溶けこませて、交渉が別種の交渉関係に変わるようにするか、である。つまり、肉体交渉がもはや重要性をもたず、二人の当事者が同じ感情と同じ幸福をわかちあうことができる、そうした安定した交渉関係に変わるようにするか、である。若者愛が道徳的に名誉あるものとなることができるのは、この愛の、愛情(フィリア)の絆という決定的で社会上貴重な絆への変換を基礎づける諸要素が、(恋する男の分別ある恩恵のおかげで、恋される男の慎み深い心遣いのおかげで)この愛に含まれる場合に限られる。(ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』)

 幾分理想的かつロマンティックに書かれているとはいえ、ここには貴重な示唆が含まれている。すなわち若者と年長者の性的関係は期限を区切られているということ、そしてそれは肉体関係を伴わない愛情関係(友愛の関係)へと移行していくことが望まれているということである。
 セジウィックのようなフェミニズム的な視点から見れば、そこにあるのはホモフォビアを伴わないホモソーシャルな絆の在り方であり、現在のそれとは形が異なるとはいえ、男性が家父長制を維持し、女性を支配し続けるための一つの方策である。
 しかしフーコーの記述には別の側面が見られる。それは「男が男になる」こと、男として成長するために必要なことを考える上でこの古代ギリシアの例は重要なヒントを与えてくれるということである。
 すなわちここでのホモセクシュアリティと呼ばれる行為には、男性間の文化の伝承というテーマが潜んでいるように思われるのだ。そこには女性的な領域で育ってきた男性がそこから離脱して男性的な領域に心身を移動させて、いわばいったん死んで、あらためて男性として生き始める「儀式」、たとえば元服や幼名から元服名への変更、様々な部族における「イニシエーション」など精神分析的な意味での「去勢」のテーマが関わっている。そして男性にとって男同士の絆としてのホモソーシャリティは母子関係及びそれを巡る女性的なホモソーシャリティいわば血の共同体(乳、血に関わる関係)から飛躍する際に必要な場所を提供していたように思われる。だとすればそうした場所が著しく失われしまった現在、男性が男性になるためにはどのようなイニシエーションの機会が準備されているのだろうか、あるいはいないのだろうか。

行為としてのソドミーとアイデンティティとしてのホモセクシュアリティ

 ところでフーコー及びフーコー以降のセクシュアリティ研究が明らかにしたこととして、男性のホモセクシュアリティの定義が、ソドミー「行為」から個人の「アイデンティティ」に転換した、という指摘がある。具体的にいえば、かつてはある人のソドミー「行為」が非難されるとしても、それはそうした行為が法的・宗教的コードからの逸脱として非難されるに過ぎなかったのが、19世紀以降ある人物が「同性愛者」であるか否かが問題視されるようになったというのである。男であるか女であるかがジェンダー・アイデンティティの問題だとするならば、異性愛者か同性愛者かはセクシュアル・アイデンティティの問題となったのである。
 フーコーによれば「同性愛は、それが男色(ソドミー)の実践から、一種の内的な半陰陽、魂の両性具有へと変更させられた時に、性的欲望(セクシュアリテ)の様々な形象の一つとして立ち現われることになったのである。かつて男色家(ソドミスト)は性懲りもない異端者であった。今や同性愛者は一つの種族なのである」(フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』1986 )

 同性愛者という種族への囲い込みには、「同性愛者」という命名も不可欠であった。人は日本の入国審査で「日本人」か「外国人」に分けられるように否応なく「異性愛者」か「同性愛者」に分類されるし、自分をどちらかにアイデンティファイしなければならないとされる。  
 この分類のために「同性愛 homosexuality」という言葉が造られたのは実はそれほど古いことではない。この言葉が最初に使われた印刷物はオーストリア生まれのハンガリー人のジャーナリスト、カール・マリア・カートベニー Karl-Maria Kertbeny 1824-1882が1869年に書いたドイツ語のパンフレットに遡る。その後この語が広く流布するのは、精神医学者リヒャルト・フォン・クラフト=エビング Richard Freiherr von Krafft-Ebing(1840-1902) が1886年に著した有名な著作 『 Psychopathia Sexualis (性の精神病理)』に掲載されたことによってである。このドイツ語 homosexual とHomosexualität が英語では homosexual と Homosexuality、フランス語では homosexual と homosexualité と訳されることになる。
 異性愛及び異性愛者という言葉は同性愛者という言葉が表われた後で造られた。英語では、先述のクラフト=エビングの著作が英訳された時に形容詞である heterosexual が使われたのが最初であるとされている。フランスでは1891年に形容詞としての heterosexual が、1894年に名詞の hétérosexualité が使われたのが最初と言われている。
 フーコーが指摘したように同性愛者という「種族」が出現したということは、それに対立する形で「異性愛者」という種族が出現することをも意味していた。そして「両性愛 bisexualité」という用語はと言えば、もともとは実際に器官的に両性具有であることを意味していたのが、両方の性を愛することができる者という意味でこの言葉が現れたのは20世紀になってからのことであった。 
 またホモフォビアという語が定着したのも 19世紀のことであった。
 セジウィックによれば、ホモソーシャルの裏側にホモセクシュアルが切れ目のない連続帯(これをここではセジウィックに倣って「ホモソーシャル連続体 homosocial continuity」と呼ぶ)としてありながら、ホモフォビアがそれを切断するのだが、その切断の地点は、18世紀から19世紀にかけて出現したゴシック小説の中に見出されるという。

セクシュアル・アイデンティティとジェンダー・アイデンティティ

 先述したように、ホモセクシュアルであるかヘテロセクシュアルであるかは、セクシュアル・アイデンティティの問題であり男であるか女であるかはジェンダー・アイデンティティの問題である。
 自分が同性愛者であることを世に明かすカミングアウトと呼ばれる行為や、性同一性障害の問題もこの射程の中にある。特に後者は、同性愛者か異性愛者かという選択と男性か女性かという選択の狭間にあって人の人生を左右する。我々の時代はそのどちらでもないか、そのどちらでもあるような状態を許容しない時代であるように見える。「バイセクシュアリティ」という言葉も同性愛、異性愛の対立を前提とした上で造られた言葉であり、あたかももう一つの人種であるかのようである。

 アイデンティティという語は本来アイデンティファイ、アイデンティフィケーションの結果である筈だが、あたかもそこにそもそもの原因があるかのように語られている。とりわけ自我心理学はアイデンティティの確立を重視した。そうすることによって「自我」の安定を図ろうとしたが逆にそれがアイデンティティの確立のために人に自らがホモであるかヘテロであるか、男であるか女であるかといった証明をことあるごとに強いることになった。いわば人は強迫的にアイデンティティの証明を迫られ続けているかのようである。 
 今日一般に使われているアイデンティティ概念はエリクソンが『幼児期と社会』(1950)のなかで使用したものである。これはアイデンティティを見失うアイデンティティ・クライシスと密接な関係にあり、人々はアイデンティティを見失うことの恐怖を克服するためにアイデンティティの確立を強迫的に迫られることになった。
 自分がなにものであるかを確かめたいと思う社会的弱者ほどアイデンティティを求める。しかしそのことがむしろ抜きがたい差別構造を補強することになる。19世紀以前に同性愛的な傾向をもつ人がいなかったというわけではない。セジウィックはフーコーが述べた行為から特性の問題へという考え方に更に脱構築的な変更を加えようとする。

      しかし「ホモセクシュアル」という新術語とその同時代の別形の術語によって示されるような性的行動や、また、人によっては意識的な性的アイデンティティさえも、当時すでに存在し、長く豊かな歴史があったらしいことは明らかである。実際に、他にも広範囲にわたる性的行動や行動群が、すでに存在していた。(セジウィック『クローゼットの認識論』)

 大事なのはセジウィックの言葉を使うならば「世界のマッピングの仕方」が変わったということにある。

      世紀の転換期以降新しくなったのは、世界のマッピングの仕方である。それによって、あらゆる人間が、男か女のジェンダーに必然的に振り分けられるのと同様に、今度は、ホモかへテロかのセクシュアリティという、二元化されたアイデンティティのいずれかに必然的に振り分けられると考えられるようになった(これらのアイデンティティは個人の存在において表面上性的ではない側面に対してさえも、混み入ってはいるが強い影響を与えるのである)。この新たな展開の結果、この文化の中には、ホモ/ヘテロセクシュアルの定義にある、強力な非一貫性から免れるような余地はもはや残されなくなったのである。(セジウィック『クローゼットの認識論』)

 こうした二項対立化されたカテゴリーには落とし穴があることを示したのが脱構築批評であり、フェミニズムもしくはポストフェミニズムが男性/女性というジェンダーの二項対立に対してこの方法を適用してきたが、セジウィックはこれをヘテロ/ホモというセクシュアリティの二項対立的なカテゴリー化に対して適用する。

      これまで公式化したことのいくつかが示唆しているように、本書の主要な要素の一つは、かなり特定の意味で、脱構築的である。本書が分析し論証しようとすることは、ある文化において対称的な二項対立とされてきた諸カテゴリー(この場合はヘテロセクシュアル/ホモセクシュアルというカテゴリー)が、実は暗黙のうちにもっと不安定でダイナミックな関係のもとに存続しているということである。それによれば、第一に、B項[ホモセクシュアル] はA項[ヘテロセクシュアル]と対称関係にあるのではなくA項に従属させられている。しかし、第二に、存在論的に安定した価値を与えられているA項の意味は、実はB項を包摂すると同時に排除することに依存して成り立っている。したがって、第三に、それぞれの二者関係のうち、中心的とみなされるカテゴリーと周縁的とみなされるカテゴリーのうち、どちらがより優位にあるかという問題は、分析・還元できないほど不安定なものであり、その不安定さは、B項がA項の内部にあると同時に外部にあるように構成されているという事実に起因する。(セジウィック『クローゼットの認識論』)

 ホモセクシュアリティはヘテロセクシュアリティに組み込まれている。しかしだからこそ逆にそれは外になければならない。かくしてそれは外部に投影され、外部にあるものとされ、それが自らのうちにあることを認めないためにもそれは徹底して避けられなければならない。そこにジェンダーアイデンティティにおけるミソジニーがあり、セクシュアルアイデンティティにおけるホモフォビアがある。ホモソーシャルな絆はヘテロセクシュアリティを標榜することによってホモセクシュアルから自らを分けることができる。
 19世紀から20世紀にかけてホモソーシャルな絆,ホモソーシャル連続体はホモセクシュアリティを他者とすることによって絆を強めることとなった。すなわち強烈なホモフォビアがそこで起こり、自らの中に同性愛的傾向を認めることに対して男性は「ホモセクシュアルパニック」を起こすこととなったとセジウィックは考えたのである。

あらためて日本の場合

 「男性」が母との関係から離脱して大人になるために文化は母的な空間から父的な空間へ男性を移行させることを文化的に様々な行事やイニシエーションなどによって行ってきた。たとえば原始的な部族におけるイニシエーションとはそのようなものであるし、元服、幼名から成人名への変更などもそうした文化による工夫、文化的構築物であったと言えよう。おそらくホモソーシャルな絆、ホモソーシャル連続体と言われるものもそのような機能を担って来た筈である。フェミニズムはこうした絆を男性による権力保持の手段として批判するし、確かにそう見える側面もあるだろうが、おそらくこうした絆は男性が男性であるために必要な装置だったのかもしれない。

 ここではこうしたホモソーシャルな絆が現代において、ホモフォビアを伴うのは何故かについて考察してみた。そしてわかったのはホモソーシャルな絆においてホモフォビアは必然ではないらしい、ということであった。ミシェル・フーコーは、ホモフォビアを伴わないホモソーシャリティとしてのホモセクシュアリティの故郷を見出すためにギリシャ時代にまで遡った。しかし日本においては、こうした意味でのホモソーシャリティはつい最近まで意外に身近にあったように見える。例は幾つも挙げられようが、たとえば「菊花の契り」という美しい言葉はこうした関係をあらわすものとして知られている。ここでは、先回とりあげた白洲次郎のパートナーであった白洲正子 (1910-1997) がその晩年に『両性具有の美』(1998) に記した次のような興味深い証言を挙げておきたい。

      かくいう私も先祖代々薩摩隼人の末裔で、子供の頃には「よか稚児」とか「よか二才」という言葉をしじゅう耳にしたものである。それについて思い出すのは津本陽氏から聞いた祖父(樺山資紀)の話で、『白州正子自伝』(新潮社)にも書いたことがあるが、周知の事実でありながら、意外に男色についての文献が少いのは、それがあまりに日常の生活に密着したものであるとともに、一種の秘密結社を形成していたためかも知れない。(白洲正子『両性具有の美』)

 白洲の証言にあるようにそれは一時代前の人にとっては周知の事実という側面もあったようである。ただし、この国においてこうした文化はバイパスではあっても古代ギリシャのようにメインストリームであったことはないように見える。またこれが「一種の秘密結社」を形成していたためか、現在、こうした文化の伝統は表向きにはほとんど死に絶えているように見える。しかしそれはつい最近まであったのであり、それが日本における男性間の文化継承にどのような影響を及ぼしていたかは興味深いところである。(つづく)





























註1)「家父長制」には二つの定義がある。まずpatriarchalismとしての家父長制は「家長たる男子が強力な家長権によって成員を統率・支配する形態」の意味であり、社会学的意味における「官僚制」以前の支配形態である。一方ここで用いられている家父長制はpatriarchyの訳語であり、これは「男性による女性の支配・抑圧・差別を非難・告発する意味を込めてフェミニストたちが用いることば」であり「その場合には、支配の形態としての家父長制(patriarchalism)に対し、権力の所在が男性(家父長)にあることを示すpatriarchy(父権制) 」ということばが用いられる。フェミニストでもあるセジウィックは後者の意味でこの言葉を用いている。(参照:『社会学小辞典』有斐閣)

註2)それが実際に「女性性」の実質であるかはここでは問わない。たとえば「受動性」は女性的であるとされているが、それが実際に女性の本質であるかどうかが問題なのではなく、ある文化がそのようなものとして規定するものが「女性性」なのである。あるいは文化が「男性性」と規定したいものと相対立する概念が女性的なものであるとされる。しかしこうした「女性的なもの」は実は男性の中にもあるものなのでその侵入が問題視されることになる。