公開セミネール 2026 記録「セミネール断章」
ラカン理論の陥穽
2026年3月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2026年3月15日講義より

第3回第3講:数学化 mathématisation という罠



ボロメオの輪の限界と「行間」の情報

 出発点において、ラカンは彼の理論を展開するための仮説として、象徴界、想像界、現実界という3つの境域を定式化してしまいました。だからこそ、そこからさまざまな「落とし穴」が生まれてくるわけです。 後期、先ほど触れた第20回から27回までのセミネールでは、この3つの輪、いわゆる「ボロメオの輪」だけでは説明しきれないことに気づいたのです。第20回から21、22回にかけて、彼はこの輪の組み合わせ方を変えていきます。重なりの順番を替えてみたわけです。これについては、1995年に青土社から出た特別増刊号で責任編集を勤めた際、わたし自身の論文のなかでも書かせていただきました。

 その後に行き当たったのは、「この行間とは何だろう」ということでした。つまり、書かれている文字や記号として表れていない情報――あえてインフォメーションと言いますが、この情報にようやく気がついた70年代後半のラカンはどうしたか。彼は、書かれた文字以上の情報が含まれているジェイムズ・ジョイスの著作に目をつけたわけです。


ジョイスの「補綴(プロテーゼ)」という発明

 ジョイスといえば、『フィネガンズ・ウェイク』、『ダブリン市民』、『若き芸術家の肖像』、そして有名な『ユリシーズ』ですね。特に『ユリシーズ』こそが、アナグラムや、要するに単なる言語表現を超えた領域での小説なのです。翻訳不能と言われていますが、柳瀬尚紀さんのようなジョイスを愛する翻訳家が訳されました。 ラカンは一生懸命に『フィネガンズ・ウェイク』を読んだのでしょう。あれはアイルランド語ですからね。わたしは幸いにも23歳の時、アイルランド人の知人からアイルランド語の本をプレゼントされました。見た目は英語のすごい方言のようなものですが、ラカンも相当に苦労して読んだはずです。

 そこでラカンが思いついたのは、作曲家でいえばマーラーのようなもので、「壊れそうで壊れなかった」ということです。マーラーの交響曲第4番なども、今にも精神が崩壊しそうな場面の後にさーっと引いていく、あの感覚です。崩壊しそうな精神が、一体何によって支えられているのか。そこにラカンは目をつけ、「補綴(ほてつ)」という考えを思いつきました。 「補綴」は歯医者さんでも使われる用語(プロテーゼ)です。本来、ボロメオの輪は一本切れたら全部バラバラになる仕組みですが、ジョイスの場合は、最初から一本がどこにも絡んでいない。それなのに彼は崩れず、小説を書き続けた。では、ジョイスという「自我」はどのように働いていたのか。この壊れそうな輪を、どうやって繋ぎ止めていたのか。

 象徴界と想像界の重なりにエラーがあるため、その部分だけを絡める輪を補った。ラカンはこれを「ジョイスのエゴ(自我)」だと説明しました。壊れそうで壊れなかった秘密は、このエゴが「補綴(プロテーゼ)」として機能していたことにあったのです。


トポロジーの破綻と「時間」の登場

 そこから、むしろラカンの思想そのものが壊れそうになっていきます。ジョイスの翌年のセミネールは、題名からして少し様子がおかしくなります。『L'insu que sait de l'une-bévue s'aile à mourre』。 「失敗(insuccès)」と「知らないこと(l'insu)」、「知っている(sait)」、そして「無意識」や「一人のわからない人」を意味する言葉をかけ合わせ、愛に向かって、あるいは死(mourre=mort)に向かって飛んでいくという、多重なタイトルになってしまいました。

 もはや自分の手には負えなくなってきた。トポロジーの範囲内では難しい。しかしトポロジーでここまで来た以上、それを進めるしかない。そこで数学者のピエール・スーリを招いて解説をさせたところ、配電盤の電気コードのように輪がいくつも重なり合う、複雑怪奇な図ができてしまったのです。

 ここで、輪によるトポロジーの説明は破綻したとわたしは思います。なぜなら、3次元から4次元に次元を上げると、数学的に輪は全部ほどけてしまうからです。そこで困り果てた彼は、次のセミネールを『Le moment de conclure(結論を出す時)』と題しました。トポロジー一本槍では先がないと悟ったのでしょう。

 ところがその翌年、彼はあることに気がつきました。このトポロジーが拾い得なかったもの、4次元でほどけてしまう要素とは何か。それは「時間」だったのです。ここで晩年のラカンは初めて、量子力学の方に近づいてきました。シュレーディンガーの方程式に時間を含むものと含まないものがあるように、これまでの思考が「含まない領域」だったことに気づき、『La topologie et le temps(トポロジーと時間)』というセミネールを始めたのです。


精神分析の数理科学化へ

 しかし、それもやはり無理がありました。その頃には「ラカン派」を名乗る弟子たちがうようよ出てきましたが、ラカン自身は徒党を組むのを嫌い、精神分析家は一匹狼であるべきだと考えていました。だから最後には第27回セミネールで『Dissolution(解散)』を宣言したのです。自分が仕掛けた落とし穴に皆がはまって追随してくるなかで、「これは落とし穴だったのだよ」と示すかのように解散と言い放った。この時期のラカンはほとんど喋らず座っているだけで、頭がおかしくなったのではないかという噂まで飛び交いました。

 ですから、わたしはラカンを単に研究するのではなく、彼が生きていたらその先をどう発展させたか、あるいはどう頓挫したかを見据えて、精神分析の研究と実践を進めていくつもりです。 ここで重要なのは記号化ではなく、量子力学も含めた「数理科学化」の方向でしょう。ラカンの理論からザルのように抜け落ちていた網の目、それを拡大してみれば、一つ一つが落とし穴だった。 デリダの言葉を借り、亡き丸山圭三郎さんが素晴らしい訳を提唱された「解体構築(デコンストラクション)」という手法で、これを作り直していく。丸山さんのソシュール論などは絶対に外せない必読書です。

 このように、あちこちに小さな落とし穴がいっぱいあるのです。ラカンの思想に興味を持つ方は、その穴に注意深く、はまらないようにしながら進んでいって頂きたいと思います。
  


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