セミネール断章 2025年6月8日講義より
第6回第6講:ホログラムの重層性とホログラム生成装置としての脳
殆どの精神疾患は、前頭前皮質の機能不全が元になっていると考えます。このような疾患群を、わたしは「前頭葉症候群 prefrontal cortex syndrome」と呼んでいます。あるいは「自閉症候群 autism syndrome」と言い換えてもよいでしょう。わたしは、長年の経験から、症状精神病 symptomatische Psycose(独), symptomatic psychosis(英)(脳以外の身体疾患の経過中に起こる精神障碍)を除く、殆どすべての精神疾患は「自閉 autismの変奏曲 variation」であるように見えます。いわゆるADHD、ASDのみならず、統合失調症、双極性障碍、うつ病、神経症など、すべては人が生まれ落ちた時から創り続けているホログラムのなかで起こる諸現象にすぎない、と考えるのです。あらゆる疾患は、人が創り出しているホログラムのなかに立ち現れているのです。
たとえば幻聴をはじめとする幻覚。特に幻聴は統合失調症に特異的なものと考えられがちですが、ADHDやASDと診断されている人たちにも生じます。むしろそういう人たちの方が、症状の変化形の幅が広いように見えます。たとえば解離性同一性障碍(いわゆる多重人格)もそうです。複数の人格が立ち現れます。当院では最大40数人の人格が立ち現れるような10代の女性もおられます。大概、複数の人格のそれぞれに性別があり、名前が付いています。年齢も性別もばらばらで入れ替わってゆく。それらの人格相互に、ある程度疎通がある場合とそうでない場合があります。
わたしが精神科医になったばかりの頃は、多くの精神科医の関心の的は統合失調症でした。当時は「精神分裂病」と呼んでいましたが「精神分裂病」の謎を解くことができれば精神科医としては本望だ、という時代でした。わたしもまたそのような意識を共有しており、1990年に上梓した『精神病の構造』では、ラカンの精神分析理論を踏まえて自分なりの「精神分裂病」論を提示してみました。あの頃は「精神分裂病」の原因を解明できれば人間存在そのものの謎に迫ることが出来ると考えていました。
現時点でのわたしの考え方をかいつまんで申し上げるなら、統合失調症も自閉 autism の変奏曲 variation だけれども、症状が派手で特異的なために、当時の精神科医の関心の的、研究の対象になっていました。当時の「精神分裂病」の診断は、考想化声、考想奪取、考想伝搬、妄想知覚、作為体験といった「シュナイダーの一級症状」と呼ばれる症状群に照らして診断を行なっていました。
今思い返してみれば、それらの症状群は、情報処理、つまりホログラム生成の不具合のあり方であることが分かってきました。その不具合によって様々な症状が出てくるのだと考えるのです。脳科学的には、短期記憶の情報処理をおこなっている海馬の不具合が生じている可能性があります。そして海馬に隣接した視床下部で連鎖的にホルモンや自律神経のアンバランスが引き起こされるのです。
つまり「前頭葉症候群」では海馬 hippocampus と扁桃体 amffygdala を含む大脳辺縁系 limbic system の異常とともに視床下部の異常が生じます。つまりホルモンバランスの不全と同時に自律神経のバランスも崩れる。普段、交感神経と副交感神経がバランス良く機能していれば、わたしたちは自然に快適に過ごせますが、バランスが崩れると次のような症状が出てきます。頭痛、耳鳴り、めまい、首筋から肩にかけての凝り、喉の詰まる感じ、胸部や腹部の違和感、手足の痺れなど。精神科医によっては、それぞれを個別に記載して個別に薬を出したりします。しかし、諸症状は単独のものではなく、前頭葉→大脳辺縁系→視床下部という連鎖のなかで生じているのです。
前頭前皮質が上手く機能していないと、自らが創り出しているホログラムとしての世界が曖昧なものになってしまいます。その曖昧な世界のなかで、外的世界とのやり取りのみならず、内的世界の情報処理が上手くゆかず、必然的に生きづらさのなかに置かれてしまいます。つまり周りの人の住まう世界と自分の生きる世界との間の齟齬を感じ続けることになります。
たとえば、誰かにある出来事について話をするときに、要点だけを口に出して、主語が抜けてしまったりする。たとえば「頑張ってるらしいよ」と口に出したりします。ここには「誰が、いつ、どこで」という文の要素が抜けています。特に主語が抜けることが多いのです。これはおそらくこの前頭前皮質と海海馬との情報処理がうまくいっていないと考えられます。要点だけが運ばれてしまって、曖昧な情報伝達になってしまっている。
長年の臨床のなかで気づくことは、従来のADHDやASDなどが、外部からの入力に対する情報処理の不具合の変化形であるということです。ですから、わたしは「前頭葉症候群」という観点から、従来の精神疾患体系を再構築することが必要だと考えています。ADHDやASDといった疾患分類は最新の脳科学的な観点に立ち返って見直す必要があり、症状に基づく疾患名は、脳科学がここまで発展している今日においては見直すべきであると考えています。
実際の診療のなかでは、ADHDとASDの双方の素質を持っている人が少なからずいます。ですから、多動かそうでないかという理由で別々の疾患としてしまうのは無理があります。双方に共通しているのは前頭葉の機能不全です。その機能不全のなかでそれぞれの固有の世界が創られているのです。たとえば、海馬の機能が突出して「強迫性障碍」を併発する人がいます。ここで断っておきたいのは、「害」という字は使わなずに、石偏の「碍」を使った方が良いということです。「害」ではない、ということを示すために専門家は「がい」とひらがなで書くことが多いです。つまり害虫とかの「害」ではなくて石につまずくような意味での石偏の「碍」を使います。。
前頭葉症候群で興味深い症状のひとつに性別違和 gender dysphoria があります。ちなみに、ラカンの第20回セミネール『アンコール』に論理学的な性別理論がありますが、ここでは、男女の区別というのは、コトバを話すヒトが、コトバの世界のなかで人為的に設定していることが示されています。つまり、男とか女というのは、わたしたちが言葉を語ることによって構成されている社会的な設定なのです。つまり、コトバを話すヒトには「生物学的性」とコトバの世界で決定される「社会的性」が混在しているのです。興味深いのは、前頭葉症候群の人は「社会的」と言っても曖昧な世界のなかで生きているわけですから、自らの性別も曖昧なのです。曖昧な世界のなかで前頭葉症候群の人が物事を決断する時の特徴があります。0か100かという二分法による判断です。気持ちが曖昧だから。0か100のどちらかに決めることで精神が安定するのです。前頭前皮質の機能不全によって連鎖的に海馬を通して0か100かの発想が生まれてきます。
狭山メンタルクリニックに通院している思春期の女の子の殆どが「消えたい」「死にたい」という感情を持続的に抱いています。当院だけで200人以上います。「消えたい」「死にたい」という感情や意思は、生きるか死ぬ(消える)かの二択のなかで生じています。まさにシェークスピアのハムレットにでてくる「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」というハムレットの言葉そのものです。この二択の背後には、思春期(特に14歳)の繊細で震えるような感性のなかで、存在の意味や、生きることの苦しみから解放される死や、苦しみを受け入れながら生き続けることの葛藤など、様々な感情が交錯しています。そして、どちらかを選択せざるを得ないなかで、必死に通院しながら生きてゆくことを苦しみのなかで選択し続けています。
強迫性障碍についても同様のことが言えます。キレイかキタナイの二択なのです。強迫性障碍の症状を構成している根本機制は0か100、中間がないのです。このことを熟知した上でないと強迫性障碍の治療は出来ません。わたし自身、強迫性障碍のクライアントの精神分析治療をおこなっていますが、皆さん、症状が限定的になり消失します。治療の要点はシンプルで100を0に切り替えるだけです。ですのでスイッチを切り替えるように治ります。前頭葉の機能不全によって創られた曖昧な世界のなかで、自分が、キレイとかキタナイと判断しているその0か100かの思考を創り出している無意識的な原因に「あ、そうか!」という気づきが生じると、強迫性障碍の症状は消えてしまうのです。