公開セミネール 2024 記録「セミネール断章」
量子論的精神分析
Quantum Theoretical Psychoanalysis
理論と実践

2024年2月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2024年2月11日講義より

第2講:オールフラット理論について

 
 クライアントと治療者は対等な関係、お互いのホログラムに内包されるような対等な関係です。治療の対象は治療者の外部にいるとされるクライエントではなく、治療者のホログラムの内部に立ち現れているクライエントです。クライエントの症状は治療者が創り出しているホログラムのなかで生じており、治療すべき症状は治療者のホログラムのなかのクライアントの症状ということになります。わたしがいつも書くようにこの関係性をホワイトボードに描いてみます。


 治療者とクライエントのホログラムが交錯しています。図ではそれぞれのホログラムが独立しているかのように見えます。つまり治療者が創り出しているホログラムとクライアントが創り出しているホログラム相互には一見何の連絡性もないように見えます。ところがここで興味深いことが起こっている。すなわち量子もつれ(quantum entanglement)が生じている。つまり治療者とクライエントのホログラム相互に情報交換が起こっていると考えるわけです。

 量子もつれにはさまざまな様式がありますが、ここで注目したいのは量子テレポーテーション(quantum teleportation)と高密度符号化(superdense coding)です。これ慶應義塾の講義でもお話したのですが、両者の違いは何かというと、わたしたちがコンピュータ等で利用している情報をbit(=binary digitの略) と呼んでいますが、これは0と1の組み合わせで構成される情報のことです。皆さんが使っているコンピュータの内部には高速で0-1の反復振動を発生するCPU(Central Processing Unit)が組み込まれているわけです。
 
 そこではすべての情報が0と1の組み合わせで構成されています。おそらく脳内を駆け巡っている情報も一部はこのbit(古典ビット)で構成されていると考えられます。しかしながらそれだけではなさそうです。つまり0か1かではなく0と1の間のどのような値も取り得るような特殊なビットによる情報処理です。それが量子ビット(quantum bit = 量子ビット)です。おそらくわたしたちの脳の情報処理のシステムは、脳を含む身体全体(量子状態)で量子もつれを引き起こすと同時に他者の脳を含む身体全体(量子状態)との間で量子もつれを起こすと理論的に仮定するわけです。

 量子情報理論に従えば、わたしたちが行なっている情報交換はコトバによるだけではなくコトバ以外の情報も含んでいます。そしてその情報の運び方に、先程触れた量子テレポーテーションと超高密度符号化があるわけです。たとえば宅配業者が荷物をトラックで運んで来る状況を考えてみましょう。その場合、どんな荷物をどんなトラックで運んでくるのかと考えてみましょう。そうするとひとつは量子ビット(qbit)という荷物を古典ビット(bit)というトラックで運ぶ場合、もうひとつは古典ビット(bit)という荷物を量子ビット(qbit)というトラックで運ぶ場合です。古典ビットと比べると量子ビットは極めて処理速度が高速です。この喩えにしたがって図を描いてみましょう。



 たとえば、三島由紀夫の小説を読むとしましょう。小説は文字で書かれていますから古典ビットですね。しかしながら小説を読んだ時にコトバ以外の情報が伝わってくることを感じるでしょう。たとえば晩年の『豊饒の海』四部作を読んでみると輪廻転生など三島の到達した最終的な仏教的な思想が鏤められている。すべてがコトバで書かれているにも拘わらずコトバ以外の何らかの情報が伝わってくる。三島と対極にあるとされる太宰治を読んだ場合もそうですよね。太宰治の作品もすべてコトバ。しかしながらわたしたちにはそれ以上の情報が伝わってくる。それが量子ビットです。このような情報伝達は量子テレポーテーションの成せる業と言えるでしょう。

 精神分析の名人と呼ばれる人たちはおそらくこの量子テレポーテーションを引き起こす名人だったかもしれません。そこで展開されるのはコトバや身振りや眼差しといった経験に基づいた総合的な技術です。ジャック・ラカンも含めて精神分析家はこれをやっていたんですね。小説家にも何も伝わってこない下手な小説家と言外の何かが伝わってくる素晴らしい小説家がいるように、治療者にも下手な治療者と素晴らしい治療者がいる訳です。分析家によって分析治療のスピードや効果が違ってくる。要は量子ビットをうまく運ぶことができているかどうかにかかっている。

 小説家だと言語表現の細かいところ、たとえば助詞の使い方とか、そういうコトバの古典ビットによって、詩人もそうですね、量子ビットが運ばれる。そして従来の精神分析はここに留まっていた。なぜならコトバによって分析を進めてゆくからです。「心に浮かんだことを包み隠さず話してください」という前提のもとに寝椅子に横になってクライアントがコトバを紡ぎ出してゆく。厳密に言うならコトバ=音声です。わたしがここで常識を超えましょうと提唱している理由は、量子テレポーテーションに加えて超高密度符号化による精神分析に目を向けましょうということです。

 量子テレポーテーションのみではゆっくりした速度で限られた情報しか運べません。なぜならコトバは連続してゆくための時間が必要だからです。コンピュータでいえば0/1が反復するためにCPUは振動をつくり出さなければなりませんが振動には物理的な限界があります。大量の情報を短時間で運ぶには逆のパターンが必要です。つまり古典ビットを量子ビットで運ぶことが必要です。量子ビットは大量の古典ビットを運ぶことができます。これを実現しているのが量子コンピュータです。

 実際、日々の臨床で、わたしは日常の言語つまり量子テレポーテーションによって基本的なコミュニケーションを取りながら、非日常的な超高密度符号化によるコトバ以外の情報伝達を試みています。これがどこまで効果があるのかというのがわたしの関心事です。超高密度符号化つまりコトバ=古典ビットではない方法で治療者とクライアントの間で情報を交換しかつ共有すること、極めて短時間で多くのコトバ=古典ビットを伝えて共有しクライアントの量子状態を整えてゆくこと、そしてクライアントの身体に元々備わっている自然治癒力を誘発することです。そのための大前提は治療者の量子状態を「このクライアントは必ず治る」という確信に固定することです。量子もつれは不思議です。治療者が心のなかで「このクライアントは必ず治る」という確信を持つこと、「クライアントを苦しめている症状は必ず消える」という確信を自らの量子状態のなかにしっかりと固定することが必要です。日常のコトバで診察し、コトバ外の超高密度符号化によって情報を送り「必ず治る」という確信を共有するのです。これは端から見ると普通の診療のように見えるのですが、クライエントはハイスピードで症状から解放されてゆきます。

 治療者のホログラムとクライエントのホログラムが量子もつれを起こしていれば、治療者が「クライエントが治癒している姿を確信をもって思い描く」ことでクライエントが快方へと向かう。治療者がそこにいるだけでクライアントが治ってゆくということが起こる。昨年(2023年)7月に臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師と対談をさせて頂く機会があったのですが同じようなことを仰っていました。うつ病の患者さんの横に座っているだけでうつ病の患者さんが治ったという逸話です。

 そうなんです。心のなかで目の前のクライアントは必ず治ると思い描くことです。量子論の手前にいる精神科の先生が聞けば一笑に付すかも知れない。しかしながら治療者がクライアントに対峙したときに、その治療者が「治る」という確信を持つか「治らない」という臆見を持つかでクライアントの運命が大きく変わってくるのです。わたしは日常の診療のなかでこの事実を実感しています。クライアントは速やかに治癒(もしくは寛解)に向かうのです。不思議です。理論が実践に連続している感覚がここにあります。