公開セミネール 2020/2023 記録「セミネール断章」
意識・夢・幻覚のホログラフィック理論
Holographic Theory of Consciousness, Dreams and Hallucinations
オールフラットから多次元宇宙へ

2023年12月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2023年12月10日講義より

第12講:未来派精神分析について

 
 マイケル・ジャクソンの最後の記録映画 ”This is it”。it はドイツ語でEs(エス)。なかなか含みのあることばです。エスが阻むわけです。簡単に知られてたまるか、自由連想だろうが簡単には連想はさせないぞと。口に出すのが恥ずかしかったり、とてもじゃないが口に出せない秘密はあるわけです。例えばタブーを犯してしまったとか。近親相姦、窃盗、殺人とか。それは言えないわけです。

 精神分析を始めた当初は、連想が浮かんでこない、無理に言葉をつないでゆく、ということが起こります。抑圧や検閲が生じているわけです。それでも回を重ねているうちに分析主体の連想が徐々に検閲や抑圧をくぐり抜けて言葉としてで始める。つまり本来の自由な連想が始まります。

 これが精神分析における自由連想ですが、わたしはここで異議を唱えたいと思うのです。分析のセッションを繰り返してゆくうちに抑圧や検閲を免れてゆくというのが、フロイトが提唱し従来の国際精神分析協会が引き継いでいる自由連想法の基本的な考え方です。これを初回のセッションでおこなってしまおう、というのが量子論的精神分析、未来派精神分析の目論見です。

 量子論的精神分析では「心に浮かんだことをすべて話してください」などという野暮なことは言いません。「野暮なこと」と言ったのは、従来の自由連想法は実は自由ではないからです。自由連想と言っておきながら自由じゃない。何よりもまず「心に浮かんだことを包み隠さず話せ」というのは命令形です。分析家はまず最初に命令形で話しかけてしまっている。命令に対して従う人もいれば従わない人もいる。つまり、命令形で分析を始めてしまうところがフロイトのある種の苦悩を表現している。つまり当初試みていた催眠法を諦めて自由連想法に切り替えたのは、これが最善の方法だからではなく「この方法以外に考えつかなかった」からです。つまるところ、自由連想法には良い面と悪い面の両方があります。わたしはこのことを考慮した上で、命令形を使わない分析技法についてお話ししたいと思います。

 わたし自身が行なっている方法は二通りあります。ひとつは、やや上半身を起こしたベッドに寝てもらって分析家は分析主体(被分析者)から見えないところに座る古典的な方法。つまりフロイトが提唱したやり方です。もうひとつは雑談のように進めていく方法。これは人間同士のコミュニケーションの基本です。寝ていて、枕元に誰かがいて、思いつくことを包み隠さず口に出す、なんて普通じゃないですね。

 ですから、おそらく将来の精神分析は雑談で始まる。雑談というと「えっ?」と思う方もおられるかも知れませんが、詰まるところ人の語りはすべて雑談です。どれだけ高尚に見えても、どれだけ下品に見えても、どれだけ専門的でも、どれだけ適当でも、すべては雑談です。

 禅寺で座禅を組みますね。日本の禅宗には臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(おうばくしゅう)があります。禅宗では知識を得ることではなく悟りを開くことが目的です。そのために臨済宗では公案の体系があります。師と弟子との間で交わす問答のことです。これも冷静に聞いていると実は雑談であることに気づきます。そして、この雑談のなかにこそ悟りに至るための真理が潜んでいます。精神分析の用語を用いれば、雑談はエスを誘き寄せる罠のひとつなのです。エスはおびき寄せられるのです。「おびき寄せられる」というのはちょっと変な言い方かもしれませんが、自我は基本的に自由であり、そこへエスが近寄ってくる。一方、自由連想法のような「命令」に対する構えのなかで寝椅子に横になってひとり語りをするというのは、実は不自由な連想様式なのです。クライエントは分析空間を意識して構えてしまっている。

 そうではなく、人間のコミュニケーションの本来のあり方つまり雑談のなかにこそ、未来の精神分析が歩んでゆく道(未知)が潜んでいる。つまり分析は、構えや拘束のない自由な空間のなかで進んでゆく。これこそがわたしが提唱している「未来派精神分析(psychanalyse futuriste)=量子論的精神分析(psychanalyse selon la théorie quantique)」です。つまり「思い浮かんだことを包み隠さず話してください」という命令形とは異なる空間で精神分析が進行するのです。

 わたしの場合、予備面接で「横になって話しますか、それとも座って話しますか」と尋ねます。実際、どちらの場合もありますが、横になって話す場合と座って話す場合の大きな違いは、分析家が分析主体の視野に入るか入らないかということです。これが重要です。分析家が分析主体(被分析者)の視野に入ると同時に、分析主体もまた分析家の視野に入るのです。ここで重要なのは、分析主体が分析家の創り出したホログラムの一部になっていることです。目の前の、どこまでも実在で他人に見える分析主体も、実は分析家(の脳)が創り出しているホログラムなのです。脳は知覚で変換された情報(2次元的差異)を多次元化しています。元々2次元的(量的)情報を、多次元的(質的)な情報(ホログラム)に「脚色 dramatize」して、あたかも「外部に」実在しているかのように、色や音や空間的広がりなどが元々対象の属性であるかのように見せています。しかしこれは「幻影 illusion」です。本来、身体的知覚に依存するわたしたちは、真の外部世界をダイレクトに知る手段を持ち合わせていません。知覚で生成された情報を頼りにするしかないのです。それでも、純粋な物理世界があると想定するならば、そこには色も音も臭いも味もありません。時間も空間もありませせん。なぜならこれらの「質」は、ホログラム生成装置としての脳が創り出しているものだからです。

 このように考えると、分析空間は、分析家と分析主体が相互のホログラムのなかに浮かび上がっているホログラムであることがわかってきます。分析家は分析主体の、分析主体は分析家のホログラムの一部になっている。つまりホログラムが交錯している。この関係性に気づくことが非常に重要です。


 なぜこれが重要なのか。わたしたちが住まうこの世界には人知を超えたもの、科学で説明できていないことが山ほどあります。鮭が生まれた川を知っていて産卵時に同じ川に戻ってくる(母川回帰)。「川の臭いを覚えている」など諸説提唱されていますが未だ決定的な説明はなされていません。重要なのは、1匹ではなく集団で川を遡って来るということです。個々の鮭が各々のホログラムを創りながら塊として川を遡ってくる。更に言うなら鰻。鮭の逆パターンです。日本鰻の産卵場はマリアナ諸島近海であることが分かっています。生まれた鰻は自分の親が棲んでいた川を知っていてそこへ戻ってくる。そして産卵時期になると再びマリアナ諸島近海へと戻ってくる。渡り鳥が群れをなして季節に応じて北の空、南の空へ移動してゆく。興味深いのは、渡り鳥の群れそのものが大きな生き物のように見えることです。それぞれの個体が量子もつれによって連絡し合っていると考えると納得できます。海のなかもそうですね。スキューバダイビングの好きな人は無数の魚がひとつの塊となって移動しているのを何度も目の当たりにしているはずです。魚たちは個体を超えた手段で情報を共通している。

 ところで皆さんはザトウクジラ(humpback whale)が歌を歌うのをご存じですか?ザトウクジラはカナダのバンクーバー沖、ハワイ沖、小笠原諸島沖という広大な範囲で回遊しています。興味深いことにザトウクジラにはその時々の流行歌があるんです。毎年違う歌を歌う。不思議なことに、バンクーバー、ハワイ、小笠原諸島にいるザトウクジラが一斉に同じ歌を歌い始めます。つまり情報を共有しているのです。遙か遠方にいるクジラ同士が同時に同じ歌を歌い始めることが確認されている。これはどのように考えたら良いのでしょう。当然ですが、海中では電波の類いは効果がありません。音波も遥か遠方には届かないでしょう。そこで考えられるのが量子もつれ(quantum entanglement)による情報伝達です。量子もつれは物理的距離に影響を受けませんから遥か遠方にいるクジラ同士でも瞬時に情報を共有できます。

 これらは量子力学以前の古典的な物理学では説明不能な現象です。素朴な古典力学が依拠する実在論、すなわち「宇宙は物質で構成されており客観的実在として存在する」といった常識的な知を超えたところにあります。わたしたちの身体や世界は物質でできている、といった素朴な信仰に疑問符を打つ必要があります。物理学者アーウィン・シュレディンガー(Erwin Schrödinger)は、1926年に波動方程式を提唱して、あらゆる物理現象が波動であることを示しました。わたしたちが物質だと信じていたものが実は波動によって創り出された「仮の姿 temporary appearance」つまり量子状態(quantum state)であることが示されたのです。

 わたしたちは、身体が様々な物質でできていて、物質は分子や原子などのさらに小さな要素でできていると教育されてきました。このような考え方をアトミズム(原子論)と言います。要するに「物質」はそれ以上分解できない不可分(a-tom)な要素に分解できると考えるわけです。量子力学はこのような考え方を覆します。全体として何らかの情報を保持した状態つまり量子状態として捉え、異なる量子状態が量子もつれを起こしていると考えるのです。