公開セミネール 2020/2023 記録「セミネール断章」
意識・夢・幻覚のホログラフィック理論
Holographic Theory of Consciousness, Dreams and Hallucinations
オールフラットから多次元宇宙へ

2023年10月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2023年10月8日講義より

第10講:ホログラフィック理論と精神分析


 このセミネールは、2001年から始めてもう20年以上やっているわけですが、ここでは常に Neues、新しいもの、誰も聞いたことがないことについて話すようにしています。ですから既存の知を学びたい方を対象とはしていません。一方、考えることそのものの難しさや、将来、人間の知がどのように変化してゆくのか、ということに興味がある方を対象にしています。ひとりの人間の能力なんて知れていますし、微々たるものです。それでも、独歩で、新しい道を切り拓いてゆく姿勢そのものを見ていただくために、このセミネールを続けています。

 「量子論的精神分析」というタイトルを掲げていますが、これは「量子論を精神分析に応用する」という意味ではありません。量子論に潜む思考法そのものを精神分析に持ち込もうという試みなのです。フロイトによって考案された精神分析は、すでに100年以上の歳月を経てきているわけですから、この方法論がこのままの形で生き残ることができるのか、ということについて考える必要があります。

 フロイトは19世紀の終わりにブロイアーと共著で『ヒステリー研究』を出版しました。それ以来、精神分析は多くの人に批判されると同時に多くの人に受け入れられてきました。そのような流れのなかで、基本的な部分は依然としてフロイトが考え出したものを踏襲しています。たとえば寝椅子(カウチ)に横になって自由連想をおこなう方法があります。これが果たして唯一の方法なのか、ということも考え直す必要があるでしょう。実際、精神分析家たちは、寝椅子に横になる以外に、椅子に座ったままなど、様々な方法を試みたりしています。

 自由連想において、分析家の眼差しは分析主体(被分析者)にとって邪魔であると同時に、分析家にとっても分析主体の眼差しは邪魔なのです。言ってみれば、眼差しの相互被爆を避けなければなりません。そのために、分析家は分析主体の視野から姿を消します。つまり、お互いの眼差しが交錯する対面法は精神分析にとって好ましいとはいえない状況を生み出します。ですから、分析家は自ら座り心地の良い椅子を用意して分析主体の頭側に座る、という方法が選択されます。通常、分析を受けるクライエントは被分析者と言われますが、ラカン派の精神分析では分析主体(analysant)と表現します。これは analyserという動詞の現在分詞です。分析者と言っても良いでしょう。つまり「人は自らを分析する」ということ、それ以外にあり得ない。

 そのために、触媒的な役割をするのが精神分析家です。だから本質的には分析主体の傍らにいるだけです。そして分析主体は「触媒」のもとで思い浮かぶことを取捨選択することなく語ってゆく。ここにフロイトの天才性がある。しかしながら、フロイトは寝椅子に横になって自由連想をおこなうことを最初に思いついたわけではありません。当初はパリで、催眠を使ったシャルコーの臨床演習を目の当たりにして、催眠を精神分析に応用できないかと考えたのです。女性患者が催眠状態の間におこなったことを覚えていないという演習を目の当たりにして、フロイトは精神分析に催眠法を用いようと思いました。そして、ブロイアーとフロイトは、催眠法によって人が普段意識していないこと、症状を引き起こしている原因について知ることができるのではないか、と考えました。しかし、その試みは早晩断念されることになります。

 断念された理由は、催眠状態にならない人がかなりいること、つまり、催眠にかかる人とかからない人がいるからでした。つまり、催眠状態にならない人は治せない、ということになる。それでは困る、ということで別の方法を模索しました。その結果、頭に思い浮かぶことを取捨選択することなく話してもらう、という方法に辿り着いたのです。思いつくことを次々と語ってゆくことで、意識から前意識へ、前意識から無意識へと思考が進んでゆく契機になることに気づいたわけです。

 それ以来フロイトは自由連想法で分析をおこなってゆきました。分析主体は寝椅子に横になって、全身の力を抜いて、リラックスして、自由連想をおこなってゆく。この時に、分析主体が目を閉じている場合と目を開けている場合があります。このことは精神分析の書籍にはあまり書かれていないのですが、目を開けた状態での自由連想と、目を閉じた状態での自由連想は、連想のベクトルが異なってくるのです。

 これはどういうことでしょうか? 皆さんは眠っている間に夢を見ますよね。しかしながら、その夢も、起きて目を開くと急に思い出せなくなりませんか? わたしは自分の見た夢に対して、覚醒した瞬間に分析をおこなう癖があるのですが、かなり印象的な夢を見ても目を開くと速やかに消えてゆくのがわかります。たとえば夜間にトイレに行って、電気を点けた瞬間に、今まで見ていた夢が思い出せなくなってしまいます。ですから、わたしはトイレの照明を点けないか、目を閉じたままにするようにしています。目を閉じたままでいると、夢の記憶が保持されるのです。目を閉じたままにして忘れないようにするわけです。つまり「目を開けたままの自由連想は目から入ってくる刺激に支配される」ということ、これが重要です。

 わたしが精神分析をおこなう場合、あえて「目を閉じてください」とは言いません。分析主体は目を閉じていても良いし、開いていても良い。その状態で思い浮かぶことを包み隠さず話してもらいます。分析の当初は恥ずかしさや否定的な感覚から特定の話題について話さないまま、ということが起こります。精神分析ではこれを「検閲」と呼んでいます。精神分析に対する「抵抗」のひとつです。このような検閲が生じていると自由連想のベクトルが肝心なものを迂回したり、回避したりします。つまり無意識のなかに進んでゆけない。

 例えて言えば、江戸時代の関所ですね。その先にゆきたいのだけれど、関所で止められてしまう。分析家は、そのような関所を通り抜けるための方策を考えなければなりません。そのようななかで、自由連想を何度も何度も反復しているうちに、関所をうまくくぐり抜ける瞬間が訪れる。本人は気づいていないことが多いのですが、関所をくぐり抜けたとき、つまり抵抗を突き抜けたときに、分析主体は目を閉じていることが多いのです。目を閉じている時に関所をくぐり抜けている。したがって、分析が進んでゆくと、分析主体は自然に目を閉じて自由連想をおこなうようになります。わたしはさりげなく分析主体が目を閉じているかどうかを確認します。目が閉じられていれば、かなり分析が深まっていることのひとつのメルクマール(指標)になります。