公開セミネール 2020/2023 記録「セミネール断章」
意識・夢・幻覚のホログラフィック理論
Holographic Theory of Consciousness, Dreams and Hallucinations
オールフラットから多次元宇宙へ

2023年9月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2023年9月10日講義より

第9講:オールフラットから多次元宇宙へ



 精神症状を引き起こしている脳内の情報は2次元情報です。精神症状のみならず、日常のなかのあらゆる情報は、突き詰めるなら2次元情報です。2次元情報という量(quantity )の次元に、色彩や音色や臭いや味といった質(quality)を与えているのが脳です。そして量に質を付加して、わたしたちはいわゆる「世界」を「認識」している。知覚された平面情報に奥行きや広がりを付加して、それをわたしたちは「世界」と呼んでいる。あるいは一定の「世界観 Weltanschauung 」を構築しています。興味深いのは、フロイトはこの「世界観」を嫌いました。精神分析は世界観ではない、と断言したのです。まさにここにフロイトの先進性と天才性を見て取ることができます。

 恐らく、フロイトは「オールフラット」について知っていたに違いありません。フロイトは心的過程、心的現象がすべて2次元情報だということに気づいていたと思われます。だからこそ分析(Analyse)ができたのです。例えば、化学では、物質の反応などを「化学式」で書きますが、これは取りも直さず2次元情報です。

 脳のなかでは、神経細胞が創り出すネットワークで化学反応が起こっています。シナプスを介した神経細胞相互の情報伝達。これらも2次元情報です。そしてこれらの2次元情報が無数に交錯して量と質で構成される多次元が創り出されている。2次元情報が無数の処理を経て「多次元」の「世界」が創り出されている。

 このことを直観的に理解することが必要です。これは一般に「気づき」と呼ばれる把握様式です。「そうだったのか!」と気づくこと。「気づき」と「理解」は二つの異なる把握様式です。この「気づき」こそがオールフラット理論を理解する上で重要になってきます。

 先日わたしのゼミで、「間違いだらけの精神分析」という話をしました。この「間違いだらけの精神分析」のなかで最も重要なのは「精神分析は知の集積ではなく、知の集積を産み出す思考法のことだ」ということです。フロイトが提唱した精神分析とは「心」という極めて掴みがたい対象について、わたしたちが取り得る思考様式のことに他なりません。

 ところが、精神分析の実践=精神分析行為(acte psychanalytique) によって獲得された知(savoir psychanalytique)の集積を精神分析だと勘違いしている人たちがいます。つまり精神分析が発見した諸々の要素、エディプス・コンプレックス(complexe d’Œdipe)とか無意識とかエスとか超自我といった分析的な知と、精神分析行為そのものの方法論を峻別できているかどうか、ということが重要です。この視点に立てば「精神分析を専門としている人」の誤解のレベルがわかるという訳です。

 精神分析について書かれた本を見るにつけ、精神分析によって得られた「知」を精神分析であるように解説している本が多いことに気づきます。一方、フロイト自身の著作にあたれば、そこに書かれていることが「精神分析する」という行為そのものであることに気づきます。精神分析によって得られた知=精神分析であると説明する本が後を絶たず、結局、精神分析そのものについて知るにはフロイトの著作に直接あたってみるしかありません。例えば、とある大学の精神分析グループを指導している大先生の著作など、精神分析によって得られた知については詳しく書かれてはいるものの、フロイトの思考様式についての洞察は見当たりません。おそらくフロイトの思考様式は、わたしが提唱しているところのオールフラット的な思考に近いのではないかと考えています。あらゆる先入観を捨てること、なぜならこれらの先入観のなかに、脳によってつくられたクオリティ(質)というフィクション(虚構)が含まれているからです。

 「タブラ・ラサ tabula rasa」という有名な言葉があります。人間は生まれてきたときは何も書かれていない白い板みたいなものなのだという考え方です。オールフラットは、そのタブラ・ラサに似ています。心的な状態をタブラ・ラサにしておけば、クライエントのなかで生起する変化をタブラ・ラサの平面に受け取ることができる、というのがオールフラット理論の基本にあります。ただし、このような考え方は、わたしの妄想に過ぎないと思う方もおられるかも知れません。

 フロイトが精神分析を提唱した時、人々はすぐには彼の考え方を理解できませんでした。とくに性欲についてフロイトが語っている箇所を取り上げて「汎性欲論」と批判する人も多く存在しました。どうして性的なものに結び付けるのか理解できない、もっと別の根拠もあるだろう、と。結局、精神分析の登場から百年以上経った今、フロイトの思考法の先進性は多くの人が認めるところとなっています。誰も歩んだことのない道を最初に切り開いてゆくこと。この作業は、常識の側から少なからぬ反論を浴びるかも知れませんが、真理を見抜いた思想であれば生き残ってゆくわけです。