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公開セミネール 2019 記録「セミネール断章」

〈超自我〉新論

Essai pour une nouvelle théorie du "Surmoi"

数回のセッションで境界例・神経症・メランコリーを
治癒へ導く技法について

2019年7月講義
講義:藤田博史(精神分析医)

セミネール断章 2019年7月13日講義より

第7講境界例を治癒に導く特殊技法 - ためらう超自我


超自我を手なずける

 事態は非常にシンプル。超自我が悪さをしている。だから治療者はその超自我に対して語りかける。なぜなら超自我は言葉で構成されているのだから。つまり超自我に語りかける技法こそが重要なのです。超自我に語りかける基本的な技法のひとつが「一般論で語る」ということです。超自我は個別論で語ってゆくと反抗してくるのです。「いや、この症状、絶対に消してやるものか」となる。一般論から入るということは非常に重要なことです。

 一般論で話しているのに、クライエントが治療中に涙を流して泣く場合があります。こうなると治癒の速度が加速されます。これは経験上の鉄則です。涙を流して泣く理由、それは自分のなかに長い間閉じ込めていた何かに連続している琴線に触れたからかも知れません。それまで辛くて触れることができなかった領域へストレートに到達したからかも知れません。

 その時、超自我は治療に協力しています。逆に、超自我が強烈に働いていると泣かないのです。泣かない子っていますね。泣く子の場合は超自我が白旗をあげているのです。「わかった」って。そして興味深いことですが、超自我が白旗を上げるのは必ず一般論に対してなのです。

 一般論に対して超自我が白旗を上げる典型的な例がパニック障害です。パニック障害はほぼ例外なくその根底に「死への恐怖」がある。死ぬことに対する恐怖です。その恐怖が様々な形をとって現われる。ですから、パニック障害の症状が最初に出てきた時のことは、極めて詳細に聴き取ります。

 さらに、ここからはひとつの賭けみたいなものですが「一般論ですが、あなたのような症状で苦しんでいる人にはあるひとつのことが共通しているのです。それは、、、」と語りながら、クライエントのなかで一般論が個別論へと変換される瞬間を待つのです。その際に、治療効果を誘発するために、わたしの専門は精神医学ではなくて精神分析だということを伝えておきます。必要であれば、精神分析とはなにかと言うことも話します。

「わたしの専門は精神分析です。精神分析は精神医学とは異なる分野です。精神医学ではクライエントの陳述を元に症状を記述し、その症状に応じた薬剤を処方して、症状を軽減させることを目論みます。一方、精神分析医は、症状には必ず原因があると考えます。そして、その原因を取り除くことを目論むのです。したがって可能な限り薬は使わないで治す立場なのです。とあらかじめクライエントに伝えておくのです。これも一般論になっていますが、この陳述によってクライエントの超自我に警告を与えておくのです。「わたしはちょっと手強いよ、超自我君!」というわけです。このようにして自我にではなく、超自我に向かって、一般論で語りかけるのです。パニック障害の根底には死への恐怖があるということ、そして症状が出てくる前に自分にとって大切な人の死が絡んでいるということ。

 ちょうど昨日カウンセリングした初診で来た女性も、そのことを言ったら突然泣き出した。「そういえば母がその時に亡くなりました」。母の死に続いてパニック症状が出現したことに彼女は気づいたのです。そしてそのタイミングで泣いたということは、超自我が泣くなという命令を解除した、つまり母の死を思い出すな、という超自我の命令が取り消され「思い出しても構わない」という許可が出たわけです。その後は、自動的にクライアントは話を続けます。そして分析家は良き聞き手としてクライエントに対峙していれば良い。母のこと、症状のこと。

 泣くというのは治療にとって大変意味のあることです。通路ができる。超自我が許してくれる。「泣いてもいいんだ」ということ。ですから、わたしのカウンセリングルームの部屋にはティッシュボックスが置いてあります。ティッシュボックスは非常に重要。泣く瞬間ってわかるじゃないですか。そうしたら黙ってティッシュボックスをちょっと寄せてあげる。治療者による愛情表現であり、涙を肯定する。そういうクライエントは次回来た時には劇的に症状が軽減もしくは消失しています。

 「パニック障害は3、4回のセッションで治る」というのはこのことです。従来の精神医学的な面接ではまず治療効果はありません。普通のやり方をしたって治らないのです。しばしばパニック障害は治療困難であると言われたりします。それは治療者に精神分析的なヴィジョンが欠如しているからです。クライエントの症状の背後には死への恐怖があること、そしてこの死への恐怖が、実際に本人のなかでしっかり確認されること、これが重要です。ただ厄介なのは、無意識のなかには閉じ込められた大切な人の死があるのに思いつかないということ。ある意味、感情が鈍麻しているとも言えるでしょう。

 ここで治療技法の真髄を手短かな言葉で表現するなら超自我を「手なずける」ということになります。つまり、治療の大原則は同情したり、慰めたりすることでも安らぎを与えることでもありません。そうではなく、クライエントの自我を強力に拘束している超自我を「手なずける」ということなのです。これは言ってみれば精神分析的治療の極意です。精神分析の理論に基づいてはいるものの、短時間で行わなければならない精神医療現場での極意です。上手くゆけばワンセッションは10分以内、5分以内で区切りが付きます。

 「手なずける」ということ、「超自我を手なずける」こと。これは「じゃじゃ馬を手なずける」とか「飼い犬を手なずける」のと同じことです。フランス語では「apprivoiser」と言います。 「飼いならす」とか「手なずける」という意味があります。「超自我を手なずける。apprivoiser le sur-moi. 」これが治療技法の極意です。この超自我を手なずける方法を身につけたなら、大概の精神疾患は短期間で治癒させることが可能になります。「治療する」のではなく「治癒を導く」のです。症状を治癒のメカニズムに導くということなのです。なぜならば、治療とは、治癒とは「超自我を手なずける」ことに他ならないからです。ちなみに「手なずける」という言葉は『星の王子さま』に登場する狐が口にした言葉です。