公開セミネール 2019 記録「セミネール断章」

〈超自我〉新論


Essai pour une nouvelle théorie du "Surmoi"


数回のセッションで境界例・神経症・メランコリーを
治癒へ導く技法について



2019年6月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2019年6月8日講義より


第6講精神疾患と『三世代の法則』 - 精神疾患は三代で完成する



転移について


 今回は「転移」とはなんぞやという話です。英語で「transference」、フランス語で「transfert」、ドイツ語で「Übertragung」。ご存じのようにフロイトの用語です。


 幼い時に大切だった人、最初に好きになった人、そういう愛の対象がありますね。それが今、目の前にいる対象、今、目の前にいる人物に対して、愛のベクトルを向け直すこと。過去に向いていた矛先を、今や、目の前にいる対象に向け直すこと。だから転移なのです。


 ただ、一般の精神分析ではもっと広い意味で使われています。陽性転移とか陰性転移とか愛情を抱くこととか。それもひとつの転移の考え方ですが、転移の本質は今指摘したように、幼い頃の最愛の人に向けられていたベクトルを、クライエントの側から治療者に向け直すこと。


 例えて言うなら、方位磁石の北を指す針が治療者の方を向いているかどうかということ。あるいは向かせられるかどうかということ。


 一番最初に体験した愛の対象には二通りあります。言葉の世界に入る前に抱いた愛情と、言葉の世界に入ってから抱いた愛情との二つです。前者は前エディプス的愛情であり、後者はエディプス的愛情です。実は人間の愛情にはこの二つがあります。通常はそれを重ね合わせて生きているのです。


 前エディプス的愛情の対象は大概生みの母。なぜ大概と言ったのかというと、生みの母と育ての母が違う場合があるからです。エディプス的愛情の対象は育ての母。殆どの場合、生みの母イコール育ての母ですね。そして、エディプス的愛情は、母親的愛情と、父親的愛情の二つがあります。


 ですから単純に転移と言っても、その矢印の先が、前エディプス的対象に向かベクトルか、エディプス的母に向かうベクトルか、エディプス的父に向かうベクトルか、ということを峻別する必要があります、分析家ならば。




超自我について


 今年は超自我新論ということで超自我に注目して話を進めています。精神分析を勉強したことのある人であればお分かりだと思いますが、フロイトが心の装置について考えるために提出した仮説です。フロイトが精神分析について論じ始めた当初は、意識、無意識、前意識という三つの領域を峻別して心の理論を作ろうとしました。ところがその後、動きのない、スタティックな区分は説明概念としては限界があることに気づいたのでした。


 そこで考案したのが第二の局所論です。自我、超自我、エス、という擬人化された三つの境域を峻別しました。自我とは、誤解を恐れずに単純化して言えば、わたしと思っているなにか、この身体の主体だと錯覚を起こしているなにか、自分自分と思っているなにかです。


 エスは、自我からは見えないところから、通常はそれと知られない形で自我に影響を与え続けているなにか。例えば言い間違いをしたり、ジョークを思いついたりというのはエスの仕業であると考えられています。


 超自我とは、例えば書店で、周りに誰もいなくて、監視カメラもなくて、万引きしても大丈夫というような状況下で「するな」という禁止の命令を自我に下す審級です。これは通常、道徳(観念)というふうに言われたりもします。このように、禁止の形で自我をコントロールしている境域があるのです。これが超自我です。


 フロイトの解説本を開いてみると、超自我は幼い頃に心のなかに取り込まれた両親であるようなことが書かれています。つまり幼い頃は両親が傍らにいて、それはしてはいけない、とか、こうしなさいといった命令をしてくるのですが、そのうちに両親がいなくても、その両親を自分のなかに取り込んで命令されたのと同じことをするのだと。普通の精神分析の本にはそう書かれていることが多い。しかしながら、これは正確な説明ではありません。


 なぜなら、両親を取り込むのではなく、両親の超自我を取り込む、というのが正確な言い方だからです。つまり両親ではなくて、両親の超自我を心のなかに取り込む。ですから、誤解を恐れずに言うなら、超自我は遺伝するのですよね。超自我は遺伝する。ドーキンスは遺伝子によるのではない、広い意味での遺伝をミーム meme と呼んでいます。


 例えば「人のために尽くさなければならない」といったフレーズが心のなかに湧いてくるとします。しかしながら、両親を見ても、そんな考えを持っているようには見えず、むしろエゴイズムの塊のようだったりする。しかし、よくよく追跡してみると、実は祖父ががそういう人だった、ということがあります。このような遺伝を、一般には隔世遺伝と言いますね。実は超自我もまた隔世遺伝するのです。