公開セミネール 2017 記録「セミネール断章」
「量子論的精神分析の理論と技法
Theory & Technique of the Quantum Psychoanalysis
量子力学・超ひも理論・ホログラフィック原理


2017年11月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2017年11月11日講義より


第11講:精神病とはそもそもなにか





 量子もつれには二通りあります。以前からお話ししているように量子テレポーテーション Quantum teleportation とスーパーデンス・コーディング Superdense coding です。例えば通常の言語コミュニケーションを初めとする知覚可能な形でやり取りされる情報があります。これらの情報を、古典的な情報単位であるビット bit(=binary digit)で表現したものが古典ビット classical bit(=Cbit) です。いってみれば言葉や身振りなど、相手が五官によって察知できる情報のことです。このような情報伝達を注意深く観察すると、五官によっては察知できない情報が同時に運ばれています。この五官によって察知できない情報のひとつが量子ビット quantum bit (qubit, Qbit)と呼ばれる情報です。量子ビットは古典ビットのような「0か1」という選択ではなく、「0と1の量子状態の量子力学的な重ね合わせ」ということになります。


 このような情報伝達の様式が量子テレポーテーションです。近年、光を使った量子テレポーテーションの研究がずいぶん進んでいます。誤解を恐れずに簡単に言ってしまえば知覚で察知できる範囲の情報群による情報伝達の形です。言葉、身振り、表情などがそうですね。そういう知覚可能な情報によって知覚不可能な範囲の心的情報が運ばれる。古典的な精神分析はこのような情報伝達に支えられているわけです。


 わかりやすく喩え話でいうなら、量子テレポーテーションとは、古典ビットという乗り物に量子ビットを載せて運んでいる状態です。つまりわたしたちが通常言葉では表現できないような、古典ビットでは表現できないような情報が載っている。これに対して、スーパーデンス・コーディングは量子テレポーテーションとは逆の状態といえるでしょう。つまり量子ビットという乗り物に古典ビットを載せて運んでいるのです。ですから知らないうちに相手の心へ届く。相手が気づかないうちに、相手の心のなかにホログラムを形成する情報が送られる。本来情報の伝達というのはこの二つでできているのですね。




 スーパーデンス・コーディングによる治療現場でのセラピスト - クライアント関係の特徴は、極端なことをいえば、セラピストは一言も話をしなくて良いということです。ただし、クライアントから返ってくる情報を得るために言葉を発します(量子テレポーテーション)。セラピストが言葉を発することによって、クライアントの心のなかに変化が生じます。変化が生じるとそれがまた量子ビットに乗って、セラピストのなかに入ってきてセラピストの心的な状態をクリアにしてゆく。ただし、これが必ずしもいつもうまくゆくとは限りません。入ってこないことがある。クライアントの心的状態がセラピストの心のなかで再現しづらい、そういう場合はやはりセラピストの口から少し揺さぶりをかけたりする必要がある。


 揺さぶりをかける場合に有効なのはフロイトの理論や経験です。有効なのはエディプス・コンプレックスに起因する両親との関係についての洞察です。「お父さんと仲が悪かったのですか?」とか「お母さんはどんな人ですか?」とか、そのような質問はしますね。その場合、できるだけシンプルな、難しい言葉ではなく、シンプルな言葉でおこなうと、それにクライアントが反応して、それまで再現しづらかったものがスッとまるでセラピスト自身のことのように再現されたりします。


 たとえばパニック障害の場合、セラピスト自身が、もしかしたら今電車に乗れと言われても乗れないかもしれない、と思ってしまうくらいにリアルに心のなかに再現されたりする。電車に乗って生じる身体的精神的変化がセラピストの側にリアルに再現されるわけです。パニック障害が比較的治療しやすい理由は、その基底にフロイトのいう去勢不安が隠れているからです。発達のごく初期に、男の子だったらおちんちん切られちゃう、女の子だったら家を追い出される、母から見捨てられるといった一種の危機的な状況が隠れている。この基本構造は「切り離される」という、切断に対する不安や恐怖なのです。ですから、そのような切断に対する不安や恐怖がクライアントの症状の根底にあるのだということを踏まえた上で、量子もつれによってセラピスト自身の心のなかでその状態が再現されれば、セラピストの自己分析の経験によってその状態を解消させることが可能になるのです。つまりセラピストのなかに生じたパニック障害を、セラピストが解消させると、量子もつれによって、クライアントのなかのパニック障害も知らないうちに解消してしまうというわけです。


 もちろん治療の最中もクライアントは話し続けているわけですが、パニック障害の場合、こちらから揺さぶりをかけるためのキーワードというものがあるのです。このキーワード自体は古典的な精神分析が発見したものです。例えば「どなたか大切な方が(症状が出る前に)亡くなられたりしませんでしたか?」という「死」に関する問いかけです。「死」に対する不安と恐怖が症状形成の根底に潜んでいるというわけです。去勢不安は死に対する不安へと連結されているために、症状形成の背後に「死」という絶対的なテーマが隠れている。それに加えて父の機能に何らかの不全がある。例えば病弱であったり、不在であったりする。しかも、昔は暴力を振るうようなとんでもない父親だったのに、今は病気がちで何もできなくなっていたりする。要するに父の機能に大きな不具合がある。これらの二つがパニック障害の背後に隠れていることが殆どです。ここがまさにポイントです。死に対する不安とそこから派生している去勢不安こそがパニック障害の根本病理なのです。


 更に言うなら、父の機能不全に対する母の無頓着さが症状形成に関与している。共依存という用語がありますね。例えば、アルコール中毒の夫に対して妻は「本当にどうしようもない人だ」と口では非難しつつアルコールを摂取することは容認してしまっている。表向きにはなんとかしなければと口にするが、内心は説得を諦めて飲酒を容認してしまっている。あるいは死んでくれた方がむしろ楽だと思っていたりする。そういう共依存的な夫婦関係にしばしば出遭います。


 非常に興味深いのは、パニック障害には死に対する不安や恐怖が認められるのですが、症状自体の表現型は性的な興奮と類似のものだということです。息が荒くなったり、手足がしびれてきたり、震えがきたりといった、いわばセックスをしている時に起こるであろう身体的変化と同等の変化が生じている。たとえば性的抑圧が強い女の子が突然過呼吸になったり、手足のしびれを訴えたりして教室で倒れたりということが起こったりする。抑圧された性衝動とでも表現すべき症状がパニック障害になると顕在化する。究極的な言い方をすれば、パニック障害とは生の欲動と死の欲動があからさまに鬩ぎ合っている状態なのです。


 パニック障害の治療の場合、クライアントの心的状態が、セラピストの心のなかのスクリーンに再現されますが、これがスキゾフレニアになるとそうはゆかない。残念ながらスキゾフレニアは神経症と比べてセラピストの心のなかのホログラムの形成が弱い。つまりなかなか心のなかに心的状態を再現することができない。おそらく、これを再現するためには、たとえば量子テレポーテーションかスーパーデンス・コーディングがしっかりと起こらなければならないのですが、スキゾフレニアでは量子テレポーテーションやスーパーデンス・コーディングを妨げている何かが働いている。つまり「量子もつれを起こしにくくしている何らかの要素」が働いている。


 先ほど少し触れましたが、これはわたしの推論でもありますが、大脳辺縁系の海馬こそが人間同士のコミュニケーションにおける量子もつれの形成に深く関与している。人と人との言葉なしの交流においては双方の海馬間で量子もつれが生じているというふうに考えています。逆にいえば、たとえばスキゾフレニアにおいては海馬相互の量子もつれが生じにくくなっているということは、クライアント(あるいはセラピスト)の海馬の情報処理機能に何らかの不具合が生じている可能性があると考えています。


 脳科学的ないい方をすれば、随分以前からこのことはセミネールでお話ししているのですが、海馬のCA2が極めて怪しい。パニック障害や典型的な神経症のクライアントの場合には、比較的クリアな形でクライアントの心的状態がセラピストの心のなかに伝わってくるのですが、スキゾフレニアの場合はなんというか「断片的」なのです。完全なホログラムではなく、断片的だったり、スカスカだったり、なんと表現したらよいのでしょう、、、要するに不完全な形で再現されるのです。そこがむずかしいところです。その不完全さが、たとえば先ほど触れたセーターの編みはじめの部分の欠損にあるのか、あるいはそもそも情報を伝達させる送信機としての海馬そのものの異常なのか、それをもう少し明らかにしてゆく必要があります。