seminaire201710 of ユーロクリニーク文化部公式サイト

DSCN0800.jpg


公開セミネール 2017 記録「セミネール断章」
「量子論的精神分析の理論と技法
Theory & Technique of the Quantum Psychoanalysis
量子力学・超ひも理論・ホログラフィック原理

2017年10月講義
講義:藤田博史(精神分析医)

セミネール断章 2017年10月14日講義より

第10講:症例提示(神経症の治療例)


神経症の治療について

 治療をするためには、治療の対象がどのような病理をもっているかを知っておく必要があります。思いつきでやってみても治癒に導くのは難しいでしょう。ですから、本日はまず始めに神経症という病態をつくり出している基本的な構造について説明してみようと思います。残念ながら精神医学は分類はするけれども「構造」という観点から神経症を説明することはありません。あってもフロイトの説を紹介する程度です。ですから、まずはチャート式の教科書的な感じで簡単にまとめてみたいと思います。

 神経症はドイツ語で Neurose、英語で Neurosis、フランス語で Névrose といいますね。古典的な分類で重症なものから挙げてゆくと、まず強迫神経症があります。横断歩道を渡る時に白いところだけしか踏んではならないとか、家を出た後にガスの元栓を閉め忘れたのではないかとか、かなり家を離れていても確認のために戻ったりとか、家を出る時に鍵かけてから本当に閉まっているかドアノブに手を掛けてガチャガチャやってみたり、とか色々なパターンがあります。ここには正常から病的なものまで、症状の程度のスペクトルがあります。そういえば、強迫神経症的な反復強迫をうまく芸術にまで昇華させた作家に草間彌生さんがいらっしゃいます。精神医学的にも強迫神経症は興味深い病態で、重症になってゆくと、殆どスキゾフレニアと区別がつかないくらいになります。逆にいえば、そこに強迫神経症の病理の秘密が隠されている訳です。

 次に挙げられるのが恐怖症。何か特定の対象が怖い。その対象は生物でも非生物でも構いません。例えばゴキブリを見ただけでパニックになったり、鳥が近づいてくるとものすごい恐怖に襲われたりする。つまり、特定の対象に対して、強い恐怖心が惹き起こされる。

 その次に挙げられるのが不安神経症。恐怖症のような特定の対象を持たない、漠然とした不安感を主症状とする病態です。たとえば暗い部屋に絶対に一人で入ってゆけない、暗い夜道を一人で歩けない、ある場所にゆけないといった症状が出現する。あるいは日常生活のなかで常に不安で心が安定しない。

 四番目に挙げるとしたらヒステリー。シャルコーやフロイトの時代と違って典型的なヒステリーに出会うことは滅多にないのですが、それでもたまに典型的なヒステリーに会って「ドキッ」とします(笑)。そう「ドキッ」とするのです。その症状の種類、発現の仕方、そして症状を出しているクライアントのキャラクターなど「ドキッ」とするのです。ご存じのとおり、ヒステリーは女性に多い、しかも裕福で美しい女性に見られることが多い。逆にいえば、ヒステリーだから美しく化粧をして着飾っているとも言えます。興味深いことに、ヒステリーは何かプラスαの要素がないとうまく発現しない。プラスαというのは、お金があるとか、高価な服を沢山持っているとか、化粧品をたくさん買いそろえているとか。このような過剰をラテン語ではエクセ excès と言います。過剰なものが必ずヒステリーの患者さんに見られるのです。そこに潜む病理は何かというと、これこそが「去勢 castration」という精神分析上の重要な発見に他なりません。

 ヒステリーのみならず、神経症のクライアントに対峙したときに共通してみられるのが去勢をめぐる病理です。去勢は二つの要素から構成されています。一つは「子が母から切り離されること」、もう一つは「父と上手くやってゆくこと」。二番目が表現が難しいですが「父を受け入れて折り合いを付けること」と言い替えてもよいでしょう。したがって、精神分析の基本にはエディプスの三角がある訳です。父ー母ー子がつくる三角です。これは誰の心のなかにもある人間関係の基本形です。

 「子が母から切り離されること」というのは、ここですよね。そして「父と上手くやっていくこと」というのは、ここですね。一般に、神経症と精神病は違う病態であると考えられています。不思議なことにどちらも身体的な根拠が見出されないにも関わらず、、、。

 おそらく神経症は、脳科学が進展するにつれて、メンタルな病因だけではなく、脳における情報処理の異常も指摘されてゆくことでしょう。わたしは、海馬や扁桃核における記憶や情動のメカニズムもしっかり関係していると考えています。今日は脳科学は脇に置いておいて、精神分析的な観点から話をすると、神経症に共通しているのは去勢なのだということです。この去勢に何らかの不具合が生じているというのがポイントなのです。


強迫神経症について

 まず強迫神経症ですが、強迫神経症では子が母から強力な欲望を向けられている。ここにあるのは女性であれば誰もが持っている基本的な欲望です。フロイトはその欲望をペニスナイトすなわちペニス羨望と呼びました。母の子に対する欲望の基本はペニス羨望なのです。つまり母にとって子の場所はペニスの場所なのですね。ペニスは母の場所に欠如しているものなのです。強迫神経症者の患者さんというのは、0歳から5歳の間に母から溺愛され、自らも母の欲望に応え、母にとっての「完璧な」ペニスであろうとして母を欲望する。ですから、強迫神経症のクライアントは男に多い。ただし溺愛された女の子も十分強迫神経症になり得ます。興味深いことに、そのような女の子は男の子のように振る舞ったりすることが多い。子は母にとっての完璧なペニスつまり勃起したフォルスであろうとする。勃起して硬くなったペニスをファルスと呼びますが、母親が欲望しているのはしっかり勃起したペニスつまり完璧なファルスなのです。その欲望を子が受けることで「自分は完璧でなければならない」というひとつの「命令」が超自我のなかに形成される、クライアントはそれと知らずに母の欲望に従って強迫行為を反復する。

 この完璧でなければならない、という命令が子の行為や判断を規定してゆく。完璧でなければならないという超自我による無意識的な命令が学校の勉強や学問的な興味へと向けられてゆけば勉強がよくできる成績優秀な子になります。最近テレビで、東大王なんとか、といったクイズ番組をよくやっていますけれども、現役の東大生が登場して、司会者の質問に対して「親に言われたからではなくて、自分の意志で東大の理三に入りました」と答えたりしている。超自我は無意識の命令を自我に送り込んでコントロールしている。つまり、無意識のなかで完全に親の欲望のコントロール下に置かれているわけです。個々で生じているのは「(母)親の喜ぶ顔が見たくて良い成績を取る」というシンプルな仕組みが隠されているわけです。

 日本のラカン研究者のなかにもとても勉強ができて成績優秀な人がいます。しかし、その内実は「ママ、ボクを見て!皆が難しくて理解できないって言ってるラカンのこと、ボクはこんなに理解してるよ!フランス語も読めるよ!ラカンをフランス語で読んでこんなに理解してるよ!」ということなのです。要するにラカンを学校で勉強をするときのように精読する。そこからなにかが創造されるというより、いかに精緻に学問の対象としてのラカン(の精神分析)を理解し再記述するかということに喜びを見出す。これは一言でいうとメカニズムへの探求といえるでしょう。メカニズムの基本はペニスが勃起したり萎えたりという生理現象への機能的な強い関心から生まれます。この関心が他へ振り分けられることで、非常に精緻なものとか厳密なものへの関心へと転換されます。例えばプラモデルを精緻に作り上げるのが大好きという人がいます。

 このようなメカニズムへの強い憧れの背後には潜在期以前つまり生後5歳頃までの母の子に対する強い欲望が関与している。この母親の欲望の強度が、子の性格形成や症状形成に大きな影響を与えている。ですから、例えば、母が、戦略的に、巧みに過剰な欲望を子に与えて、子の欲望を勉強に向かう関心に転換させることができれば、潜在期に入って以降、放っておいても勉強のできる優秀な子になってゆく。ここにあるメカニズムは強迫神経症のそれと基本的に同等のものです。ですから強迫神経症のクライアントを前にしたとき、その心的構造のなかに、無意識的に母の欲望を支持するコントロールセンターがあるのではないかと考える。母の欲望に応えるために自分は完璧でなければならない、という拘束が生じている。これが今述べたように学問などの知的な興味の対象に向かうと良いのですが、そうでないもの、たとえば日常生活の個々の行為に向かうと大変なことになる。その行為や行為の結果が完璧でなければならなくなる。例えば食器を完璧に洗わないと気が済まない。そうすると、強迫神経症の夫とズボラな妻の組み合わせなんかだと大変なことが起こってしまう。妻が簡単に洗った食器をもう一度洗い直したりして夫婦仲に亀裂が生じたりする。

 「完璧でなければならない」という観念は、言い換えると「厳格」とか「厳密」になってくる。フランス語で言えば rigueur。この rigueur がより強固になってくるとスキゾフレニアのような精神病 psychose の領域に入ってきます。ですから神経症のなかで一番スキゾフレニアに近い位置にあるのは強迫神経症ということになります。恐らく将来、脳科学的に共通病理が発見されるかもしれません。

 強迫神経症と精神病の両者に共通しているのは去勢の不具合です。先ほども触れたように去勢の二番目のメカニズムは「父とうまくやっていくこと」でした。「父とうまくやっていくこと」というのは、父が母と子の近親相姦的な密着関係にNO(父-の-否)を突きつけるわけですが、そのような父を全面的に敵に回すのではなく、父と折り合いを付けて生きてゆくということです。母と子を切断するというのは象徴的な意味において父の基本機能ですが、この基本機能が上手くゆかないと、母と子の密着関係が持続してしまう。つまり、父が母と子を切り離すことに失敗するわけです。つまり去勢が上手く機能していない。父が母と子を切り離すのに失敗した状態が「排除 forclusion」と呼ばれている事態に他なりません。つまり最初の「父-の-名」(においての去勢)を獲得し損なうということが起こるのです。一方、神経症の場合は辛うじて最初の「父-の-名」は獲得している。つまり基本的な父の機能は生きている、だから精神病ではなく強迫神経症になる。ここで父の機能が一応働いている。ただし、この父が滅多にいないとか、母と子しかいないとか、父の存在が希薄だったり、その機能がうまく働いていないと症状の強い強迫神経症になったりします。