セミネール断章 2017年3月11日講義より
第3講:量子もつれと分析技法
ーー質問 先生は解離という現象をどう思われますか?
解離の患者さんには、解離と解離もどきとあって、解離もどきには自我の分裂 Ichspaltung があります。現実をうまく切り抜けてゆくために演技の状態に入りこんでいたり、あたかも解離しているかのような、多重人格であるかのような症状を見せるのですが、実は多重人格ではない、という例があります。本物の解離の場合は、まさに多世界、心が多世界だということの証左になるのだとおもいます。例えば、人格A、人格B、人格Cがあるとすると、人格Aが出ている間は、B、Cが引っ込んでいる、しかもAはB、Cのことに気づいていない。人格Bが出てくると、A、Cが引っ込んでしまう。このように各人格が交替して出現するというのが基本です。ただし、夢から覚めた時に夢をおぼろげに覚えていることがあるように、人格の交代においても同じようなことが起こる可能性があります。つまり人格Aが、人格Bや人格Cのことになんとなく気づいている、ということは、あり得ると思います。
本物の解離では多世界が出てくる。わたしたちが夢の世界に入り込むように別の世界が構築されている。実は、この解離という現象が起こり得るからこそ、異常な人格と正常な人格が交代する可能性が出てくる。つまりスキゾフレニアは治療できると真面目に考えています。つまり病的な状態にある場合、スキゾフレニアという世界 world が前面に出ているわけで、いわゆるノーマルという世界が引っ込んでいる。ですから、両者を上手く切り替える switching ことができれば、治癒を導くことも可能になる。実際にこの切替が生じたと考えられる症例があります。例えばドイツでの症例報告があります。それは「精神病状態にあった人が、治った時に精神病であった状態のことを思い出せなくなっている」というものです。専門用語でこれを Retropsychotische Amnesie といいます。
わたしの恩師、故新海安彦先生はこの用語を「逆狂性健忘」と訳されました。これはよく耳にする「逆行性健忘」という用語に似ていますね。この用語は、交通事故などで頭部を打撲した後に、事故になる以前のことを思い出せなくなるような状態に用いられます。それになぞらえて「逆狂性健忘」と呼んだわけです。つまり狂気の状態から戻った時に、狂気の状態にあった時のことを思い出せないのです。実際、新海先生の症例で中年の女性患者の例があります。長野県松本市の精神病院に長年に渡って入院していたスキゾフレニアの女性患者さんが、ある朝ナースセンターに来て「わたしどうしてここにいるんですか」と言ってきたわけです。看護師が対応してみたら正常になっている。つまり病気だった時とは別の人になっている。驚いて主治医を呼んで、診察してみたら精神病ではなくなってしまっている。そして入院中のことは思い出せない。つまりこれは自動的に世界がスイッチングしてしまった。ここから言えることは、わたしたちはこうやって生きているけれども、どこかで狂気も一緒に生きているのだということです。ただそれが出て来ていないだけだと考える。さらに言うなら、夢も夜見ているだけではなくて、実は今も夢を見ているのですよ。ただそれは覚醒時の意識に隠されて見えていないだけだというわけです。
アフリカを旅したことのある人ならご存じかも知れませんが、マサイ族など、大自然のなかで野生動物の危険と隣り合わせで生きている人たちは、視力が恐ろしいほど良くて、昼間でも星が見えたりするといいます。それと同様に、覚醒中に夢が見えている人がいるわけです。例えば、それは白日夢だったり、スキゾフレニアの幻聴だったり、覚せい剤中毒の幻視だったりする。あるいは並外れた能力を持っている人で、覚醒しながらも夢のロジックを思考のなかに取り込むができるので、奇想天外な発想ができたりする。
わたし自身の経験の話をすると『精神病の構造』を上梓する数年前から、自分が見る夢について興味深いことが起こるようになりました。当時は、目が覚めたら目を閉じたまま夢の内容を録音して、その日の夜に再生して書き出して分析する、という形の夢分析をおこなっていたのですが、そのうちに夢のなかでこれが夢だとはっきりわかるという状況が毎日続くようになったのです。そうすると、覚醒している時でも、突然発想が湧いてくるようになる。パッとアイデアが浮かんでくる。誤解を恐れずに言うと、誰かが教えてくれるような形で降りてくるのです。『精神病の構造』の後に書いた『幻覚の構造』など、雑誌に連載した論文の半分以上が降りてきたものといっても過言ではありません。逆に、意識にあわせて何かを書いても大したものは書けないだろうなと思ってしまうのです。降りてきたものを、うまく今の意識と折り合いをつけながら文章化してゆくと、なにか新鮮なものが書ける気がします。その後に出した本はすべてそのような形で書いたものなのです、実は。
ですから、わたしに言わせれば、クリエイティヴな仕事をする人であれば、自分のなかにある昼間の星が見えるようにトレーニングしてゆくことが肝要であるわけです。見えないからと諦めるのではなく、昼間の星が見える能力を身につけること。自分のなかに潜んでいる狂気とか、自分のなかに潜んでいる夢のようなものに対して、日常のなかにうまく通路を築いてゆくトレーニングもできるでしょうし、このような心的な状態を維持することが可能になると、不思議なことに、クライエントの症状も、話をしているうちに自動的に消失してゆくようになります。話をしているうちに自然に治癒するという感じです。「治している」という能動的な感覚がないのです。先ほどお話しした「4回のセッションで治癒したパニック障害」の例でも「治している」という感覚がない。あえて技法らしきものを挙げるとすれば「この人は治る」という確信を分析家が密かに持つことあり、これに呼応するように、クライエントが自分を悩ませている症状の原因に自然に気づくのです。すなわち、分析家がクライエントの治癒についての確信を抱くこと、そしてクライエントが自力で悩みの原因に気づくこと、そうすると「つかみ、本ネタ、オチ」のオチの部分、つまり「転移、気づき、治癒」の治癒につながってゆくのです。