公開セミネール 2016 記録「セミネール断章」
「精神分析原理」Principia Psychoanalytica
ーフロイト・ラカンが仕掛けた陥穽ー

2016年8月講義
講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2016年8月13日講義より
第8講:分析(逆行)と享受(順行)の重ね合わせ(多世界性)について






 本日は今年8回目のセミネールになります。今年のセミネールのテーマは 「Principia Psychoanalytica 精神分析原理」です。テーマの基本にあるのは、フロイトやラカンの精神分析に対する批判的な考察です。数十年に渡って精神分析に携わってきたわたし自身の経験のなかで気づいたこと、とくにフロイトやラカンの精神分析が立脚している基盤について、かなり危うい部分があることを指摘しようと考えています。いってみれば、その基盤には不具合がある、落とし穴が開いているという指摘です。つまり、意識的にせよ無意識的にせよ、フロイトもラカンも落とし穴を作っている。そして、フロイトやラカンに追随する人たちは、その落とし穴にまんまと嵌ってしまっている、ということをお話ししようと思うのです。


 わたしがフロイトを読み始めたのは中学2年生の時でした。当時出版が始まった人文書院版の「フロイト著作集」を近所の小さな書店で手にしたのがきっかけです。大学に入ってからは精神病理学の新海安彦先生の厳しい指導もあり、ドイツ語版の全集 Gesammelte Werke を読み始めました。さらにラカンの著作『エクリ』を読み始めたのはニース大学に留学した1979年からです。それから約11年にわたってフロイトの原書とラカンのエクリおよびセミネールの海賊版を読み漁り、34歳の時に『精神病の構造ーシニフィアンの精神病理学』を出版したのでした。


 当時のわたしは、フロイディアンであると自認していたのですが、周りの人からはラカニアンと呼ばれてもおかしくないくらい、ジャック・ラカンの精神分析に傾倒していました。今では微笑んでしまいますが、これが最先端だ、これが究極の思考なんだ、と思い込んでいたようです。しかしながら、ここ十数年は、とくにこのセミネールを始めた2000年くらいからは、フロイトーラカンの精神分析の欠点が目につき始め、立脚しているベースがちょっと違うのではないか、と考えるようになっていました。その理由として、思考のベースに数理科学や物理学をそれまで以上に考え始めたことにあります。様相論理学、量子力学、超ひも理論、ホログラフィック原理などの数理科学的思考法は、従来の精神分析を根本的に見直す必要があることを教えてくれました。


 フロイトーラカンの精神分析においてまず気になる点は、そこで展開されている思考が平坦だということです。誤解を恐れずにいうなら、平坦というのは、たとえば、20世紀の思想を代表するようなハイデッガーやサルトルのような実存主義哲学のみならず、ラカンやレヴィストロースらの構造主義にも言えることですけれども、言語の組み合わせによってひとつの思想の体系を構成していくような、そういう思考ですね。


 そして、特にその背後に、ハイデッガーもそうですけれども、一神教の影響を受けている。フロイトもそうです。一神教の「洗礼」を受けている思想の最大の特徴は「真理はひとつ」という暗黙の了解が組み込まれていることです。とある精神分析家にこのように批判されたことがあります。「藤田先生は、精神分析の真理をまったく理解していない」と。しかし、そこには恐るべき「真理はひとつ」という排他的思想が潜んでいます。人類の歴史において、一神教に潜むこの排他的思想が、「唯一である」ために、多くの争いを生んできました。


 そうではなく、真理は無数にある。あるいは真理などどこにもない。あるのは、基本的な情報が時空化された結果としての世界のみです。時空化されているというのはこういうことです。この部屋に、今ここに、皆さんいますよね。皆さんの周りには空間的な広がりがあって、三次元プラス時間みたいなものが想定されていて、奥行きもあって、色もあって、、、という風に、把握されていると思うのですが、最新の数理科学的な観点からいうと、どうもそうではないらしい。たとえば最先端の宇宙論は常識を覆すような観点を提供してくれています。


 その一つはホログラフィック原理です。わたしたちの住まう世界はホログラフィックな効果によって2次元情報が時空化されて成立している「投影像」だという考え方です。ホログラフィッックな効果というのは、宇宙の基本情報は立体ではなく平面であり、本来2D(平面、2次元)である情報が、宇宙という時空的な広がりをもった多次元へと変換されているということを指しています。わたしたちは何万光年とか、宇宙に果てしなく広がっているとか、立体的な構造をしていると素朴に考えていますが、ホログラフィック原理では、宇宙は、2D情報がなんらかの手続きを経て3D以上の次元に変換されて映し出されている「幻影」であると考えられています。これがホログラフィック・コスモロジー、あるいはホログラフィック・ユニヴァースという考え方です。この考え方が支持される最大の理由は、古典力学においても、相対性理論においても、量子力学においても、重力をうまく説明できていないという点にあります。


 わたしたちの常識が捉えているリアリティの「内部」では重力を説明することができないのです。量子重力論ですら不完全なものです。ここで、今申し上げた「2Dが3D以上に変換される」ということについて考えてみましょう。たとえば、シュレディンガーの波動方程式が示しているように宇宙は波動で構成されていると考えるならば、ーーこれは超ひも理論なんかもそうですけれどもーー、宇宙は波動で構成されている、という風に考えれば、波動の合成の様式が重要になってきます。その様式を表わしたのがナポレオンの時代のフランスの数学者フーリエです。彼が提唱した波動の合成式はフーリエ変換 Fourrier’s Transform と呼ばれています。つまり、この宇宙は、フーリエ変換によって、2D情報が3D以上の次元に変換されていると考えることができるのです。これは科学的な仮説です。


 このフーリエ変換を導入することの意義は、2Dが3D以上の次元に変換される時の「効果 effect」として、数理科学的にうまく重力が説明できるのです。わたしはこのようなホログラフィックな観点を精神分析の時空に持ち込むことを考えています。たとえば欲動もまた、重力と同じように、遺伝情報という2Dがアミノ酸の合成を経て時空化される時の効果ではないか、と考えるのです。ラカンも含めて、従来の言語依存的な精神分析が解体され、再構築される(脱構築される)とすれば、このような数理科学的な観点によってのみだと考えています。