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公開セミネール 2016 記録「セミネール断章」
「精神分析原理」Principia Psychoanalytica
ーフロイト・ラカンが仕掛けた陥穽ー

2016年4月講義
講義:藤田博史(精神分析医)

セミネール断章 2016年4月9日講義より
第4講:存在論的精神分析と情報論的精神分析



 今年のセミネールはフロイト及びラカンの思考や思想あるいは実践に対して批判的なポジシオンを取って進めてゆきます。これまでわたしは「ラカン派」と言われることが多かったのですが、10年以上前にこのセミネールを始めた頃からは、精神分析のさらに向こう側について色々と思索を巡らすことが多くなりました。様相論理学、量子力学、超ひも理論、ホログラフィック宇宙論、最新の脳科学などがわたしの思考に重層してきて、量子論あるいは多世界の観点から「心」や「精神」や「身体」についてお話ししてきました。確かに、今読み返してみても、フロイトの思考様式には目を見張るものがありますが、それと同時に、時代の制約からフロイトが思い至らなかったことなどが、脳科学や物理学の進展もあって、今は様々な形で可能になっています。

 例えば「情報宇宙論」の視点を導入すれば、わたしたちの身体を含むすべての「物理現象」や「精神現象」も、宇宙を映し出している情報に過ぎないということも理解されてきます。そして、このような情報論を射程に入れつつ、精神分析も含む、様々な思想について再検討してゆく必要があることがわかってきます。さもなければ、人の作り出したあらゆる思想は、すべて「出来上がった幻影」のなかで構成される限定的な構築物にとどまり続けます。とりあえず必要なのは、わたしたちの思考の営みが作り上げてきた「常識」から距離を取るということです。

 いうまでもなく「常識」は、共同体や時代の変遷によって変化してゆくものです。この変遷について研究することもまた興味深いことです。例えば、哲学の歴史。中世スコラ哲学ぐらいまでの常識は、やはりギリシャ哲学にそのルーツがありますね。自身は著作を残さなかったソクラテス、そのソクラテスの教えを著したプラトンがいます。そしてアリストテレス。アリストテレスは本当に素晴らしい。抜きん出ていますね。

 中世になると、キリスト教神学者や哲学者によるスコラ哲学が台頭してくる。トマス・アクイナスの『神学大全 Summa Theologica』などはその頂点のひとつです。この時代で興味を惹くのは「騎士道」あるいは「騎士道的愛」です。騎士が抱く愛というのは、王に対する忠信としての愛もあれば、異性に対する恋愛もある。このような「愛」が、中世哲学のなかでは大変興味深いテーマになります。フランス語では amour courtois と言います。要するに宮廷的な、騎士道的な愛についての考察は「転移」や「幻想」について考える上でも大きなヒントになります。

 中世を超えて近代になってくると、合理的な思考を目指す「近代哲学」の時代になります。デカルト、スピノザ、ライプニッツ、ロック、バークリ、カントなどが挙げられます。そしてドイツ観念論の流れのなかでも体系的に厳密に思考を進めたヘーゲルはその後の思想にも大きな影響を及ぼしました。しかしながら、情報宇宙論的な観点からいうなら、それらはすべてその時代の常識に拘束された構成に過ぎません。彼らにとって世界や宇宙はすでに構成されたものとしてそこにあったのです。つまり思考そのものの情報処理的なプロセスではなく、観測あるいは観察された対象との関係性を吟味したり思考したりしているという図式なのです。平たく言えば、宇宙や世界はわたしたちが生まれた時に「すでにそこにある y est déjà」という考え方なのです。

 もっとも、わたしたちはそのような「常識」のなかに生まれ、育ってきたわけですね。この世に生まれ落ちた時にはすでに外界があって、五感を頼りに「世界」を認識して、手探りだったものが次第に形を成してくる。今や、世界は目の前に展開している然るべきものであると、刻々と知覚ー運動の経験をフィードバックしながら今ここにいるわけですね。例えば、この部屋はこのような四角い形をしていて、数メートル先には違った人が座っていて、その奥行きとか、服の色とか空気の感覚とか、そういうものを素朴に「現実 reality」とか「実体 substance」として考えているわけですよね。たとえばテーブルを叩けば抵抗があるし音もする。こういうものたちを、わたしたちは「外部」に「実在」するものとして信じてきた。

 21世紀の哲学が20世紀までの哲学と違うとするならば、あるいは21世紀の精神分析が20世紀の精神分析と異なるとしたら、知覚ー運動の反復によってつくり出された「実体」など無い、ということを科学的きちんと知ることから始まるはずです。

 経験上、わたしたちは知覚ー運動によって構成された「実感」を頼りに生きているわけですが、情報宇宙論的に表現するならば、これら一連の「現象」は二次元情報が時空化された「幻影」に過ぎないということです。現代のホログラフィック宇宙論では、情報が特定の変換過程を経て時空化されたものなのです。つまり「実体」ではなく「映像」なのです。「え、そんなこと言ったって」と思われるかもしれませんが「現実」は徹頭徹尾時空化された「幻影」なのです。