セミネール断章 2014年11月8日講義より
講義の流れ〜第11回講義(3時間)の内容の流れを項目に分けて箇条書きにしました。今回、「セミネール断章」で取り上げているのは、水色の部分です〜
第11講:「量子論的精神分析は従来型の思想(文学、哲学、美学、言語学、人類学、社会学 etc.)をどのように考えるのか」
無知であること→文系と理系→次元 dimension の問題→隠喩と真理→素粒子と量子論→二次元情報の三次元化→夢と時空間→記憶、フーリエ変換、ホログラフィック理論→バルクとクオリティ→interface と bulk →重量はバルク→次元の繰り上げとしての幻影→数理物理学の基礎→フーリエの発見→虚数は複素数→物質は振動→五感と情報収集→知覚ー運動のフィードバック→幻想としての世界の構成→身体そのものが一つの装置→量子もつれと量子重ね合わせ→美は平面情報→精神分析することと逆フーリエ変換→旧来型の精神分析の思わせぶり→教育分析という戦略→明暗とカラーは別情報→レギュレーションの異常としてのスキゾフレニア→精神分析の次元→自我との契約→従来型の精神分析との違い→未来的な人間のモラルの在り方→臨床心理士と二つの法則→精神科医と臨床心理士→レイ・ブラッドベリ「何かが道をやってくる」→オールフラットの精神分析→美学、音楽、surface の情報→ surface の予感→情報とは何か→ホログラフィック原理
無知であること
海馬症候群というタイトルでおこなってきたセミネールも今回で十一回目で今日が終われば残すところあと一回になりました。「海馬症候群」というタイトルのもとに、最新の脳科学の知見も踏まえた「量子論的な精神分析」という立場からお話をしてきました。この考え方の特徴は、従来のあらゆる学問領域を成立させている人間の思考の背後にあるもの、例えばそれは思考じたいを可能にしている身体を含む脳の働き、さらには物質としての脳を可能にしている量子情報的基盤、平面情報と時空の関係つまりホログラム⇄ホログラフィックの相互変換などを包括した上での思考のあり方について、それを新しい精神分析の一つの可能性として提示してみせることにあります。ここではすでに、従来型の精神分析の思考法を超えた数理科学的思考法が必要になってくるでしょうし、フロイトのみならず、ラカンの精神分析理論をも含めた従来型の精神分析では到達できない次元を明らかにしてくれます。
精神分析のみならず、文学、哲学、美学、倫理学、社会学、人類学、経済学、論理学、といった人間の知性とか知とか知識とか思考とか、そういうもの全体を支えているもの、あるいはそういうものを保証している情報の水準にまで思い至らないと、わたしたちは結局、何か限られた領域内で限定的な思考の自由を与えられているに過ぎません。
文系と理系
今日はちょっと大それた物言いになってしまうのですが、結局、量子論的、ホログラフィック的な精神分析の次元から俯瞰してみると、今述べた文学、哲学、美学、倫理学、社会学、人類学、経済学、論理学、等々の人間の文化的活動の所産も、実は幻影としての、ある特定の時空内で生じている情報変換の効果であるということがわかってきます。今ここでわたしがお話をしようとしているのは、まさにこの水準における数理科学的な知についてなのです。
この水準になると、言葉のレトリックや文学的な表現とか、哲学的なひとつの言葉の綾(あや)などで意味付与してゆくようなものではなくなり、極めて数理科学的な思考法が必要になってきます。
たとえばわたしたちが日常で経験する様々な事象は、古典的なヒルベルト空間で生じているわけですが、本当は、このヒルベルト空間を与えている諸条件について知っておく必要があるのです。
残念ながら、文学者や哲学者たちは、相変わらずこの時空のなかに紡ぎ出された物理学的幻影としての意味や欲望や享楽に引きずられて成立しているように見えます。誤解を恐れずにいえば、公園のなかで無邪気に遊んでいる子供のようなものです。残念なことにフロイトやラカンの精神分析もその域を出るものではありません。つまり現代の精神分析、あるいは精神分析を実践している人たちもまた、同じ穴の狢、つまり哲学や美学や文学に没頭している人たちと五十歩百歩のところにいる。
次元 dimension の問題
今のわたしには、本当にごく限られた数理科学者のみが、わたしたちの世界の外に立てる可能性を持っているという感じがします。ここでいきなり数式を使うと複雑になってしまうので、まず基本的な考え方の話だけをしておきます。
たとえば、以前からこのセミネールでお話ししているような「次元 dimension」 の問題があります。たとえば、今ここで、わたしたちが実際に感じている奥行きのある立体的な空間がありますね。専門的にヒルベルト空間と呼んでも良いでしょう。このような実際に時間軸に沿って体験されている時空間を、わたしたちは四次元(時空間)=三次元(空間)+一次元(時間)と考えていますね。つまりこの四次元がわたしたちの常識に照らせば、当然のことであるように思われていますが、それはもはや物理学的な意味においては違うわけですね。
今、取り敢えず時間の次元をわきに置いて考えてみましょう。いわゆる空間の次元というのは三次元、四次元、五次元、六次元、七次元、、、と考えられるわけですね。例えば、超弦理論 super strings theory ですと、十次元+一次元(時間)、までの次元を想定しています。そして、このような多次元は、そもそもどうして生じているのか、という水準の話があります。思考、意味、欲望、享楽など人間の営みすべてが、いわゆる「現実世界」のなかで生起していますが、その一方で、「現実世界」そのものを成立させている物理学的な基盤についての問いが一切なされていないわけです。
わたしが提唱している量子論的精神分析は、そういう基盤じたいを問題にする方法論です。このような立場に立ってこそ、幻覚や妄想といった精神病における異質な時空形成のメカニズムの解明に手を付けることが可能になるのです。そして従来型の精神分析には、このような発想はありません。
隠喩と真理
もっともフロイトが精神分析を開発したのは19世紀末から20世紀の初めにかけてですから、その時代には、わたしたちが生きる現実世界が、物理学的な意味で「幻影」として成立しているなどということは、夢にも思わないわけです。例えば哲学の分野においても、現象学や実存主義といった、想像力による捏造のような哲学が流行していたような有様でした。もっとも、いまだにそれを引きずって思考している人たちが沢山います。しかし残念ながら、そういう人たちの思索というのは、結局のところ記号や意味の組み合わせで成立しています。特定の人が自分のオリジナルだと思って捏造している思想も、実は順列組み合わせの結果の一つに過ぎないのだということに気づくべきです。当然のことながら、要素の数が決まったシステム内の順列組み合わせの可能性は有限であり、これに依拠して構成されてゆく人間の思想もまた有限なものなのです。
端的にいって、真に問題となるのは順列組み合わせで表現されるような思想のなかにはありません。順列組み合わせというのは特定のシステム内における個々の要素同士の規則的な組み合わせのことです。率直な言い方をすると、あらゆる人間の思想、つまり言葉によって構成される思想は、順列組み合わせの結果であるということなのです。そしてそれは単なる順列組み合わせではなくて、そこに真理とか真偽の問題が持ち込まれて、一つのまとまった物語を創り出しています。そのような真理の次元を、シニフィアンの順列組み合わせによって構成された差異体系のなかに持ち込んだのがジャック・ラカンの精神分析というわけです。
ジャック・ラカンの精神分析では、そういう真理の水準を、母子間の結合を断ち切る去勢の印としてのファルスと見做し、これを身体に取り込まれた一番目のシニフィアンと措定し、世界は、一番目のシニフィアンの隠喩作用を受けながら、その後に連鎖する無数のシニフィアンの換喩的連鎖によって構成されているという考え方が導入されています。ですからラカン派の精神分析では、その隠喩作用に着目しつつ、シニフィアンの換喩的連鎖を遡ってゆくことによって、症状形成の核になっている真理の次元へ接近してゆくという手法を採ります。ですから具体的な症例においては、そういう真理を置き換えたり、再獲得したりする技法についての話になってゆきます。
実は、ジャック・ラカンが、その生涯で語り続けてきたことというのは、それ以上でも、それ以下の話でもありません。そして、その評判とは裏腹に、ラカンの精神分析は、結局のところ、その基本的な思想において、フロイトの精神分析の範疇を超えるものではありませんでした。確かに、フロイトを超えたかのように語る人もいるようですが、ジャック・ラカンの言っていることの殆どは、その根拠や萌芽を、フロイトの著作のなかに見出すことができます。もちろん、構造主義的な手法を使っているので見た目はかなり違っては見えますが、基本はフロイトの精神分析に他なりません。
素粒子論と量子論
ここで量子論に話を戻すと、まず最初に確認しておきたいのは、わたしたちの住まう世界が量子系なのだということです。ところが、デモクリトスの時代からそれとなく正しいと考えられてきた考え方は、世界は分割可能であり、次々と分割していくと、最終的にこれ以上分割できない粒子に到達する、という考え方です。このような考え方をアトミズムと呼びます。例えば、素粒子論は、基本粒子によって世界が構成されているという考え方に基づいています。つまり「小さな粒で世界が構成されている」というわけです。このような素粒子論はどこまで行ってもアトミズムであることに変わりはありません。アトミズムというのはこれ以上切れないところまで分解するということです。「ア」というのは「できない」、「トム」というのは「切る」ということですね。ア・トムというのは、もうこれ以上切れないということです。これ以上切れない水準まで分解したらそこに何があるのかという考え方ですが、分割すると同時に視点を拡大してゆけば、どこまでも切れることになってしまいます。つまり収拾がつかなくなります。
つまり素粒子論オンリーでは限界があるのです。そこで今日最も注目されているのが、超弦理論です。弦理論じたいは随分以前から提唱されてきたものですが、いわゆる「ホーキングのパラドックス」が提唱されて以後、再び脚光を浴びています。このパラドックスとは、ホーキングがブラックホールの特異点で何が起こっているのか、エントロピーに注目したときに、そのエントロピーが特定の空間内、時空内で保持されているとしたら、その保持のされ方はどういう状況なのか。あるいは情報として見るならばその情報がブラックホールの特異点で保持されているのかされていないのかとか、そういう問いを、世界中の宇宙物理学者に投げかけたのです。ブラックホールでは、絶対現象面から内側は光も出て行けない領域ですから、内部の特異点の情報そのものを外部から観測することは不可能なのです。一方、外部にあってもエントロピーを測定することは可能なので、そのエントロピーによってブラックホール内の情報を測定するという間接的な手法を使うことになります。
二次元情報の三次元化
そうしてエントロピーを測定すると、ある奇妙な測定結果が得られたのです。つまり、絶対現象面によって囲まれた内部のエントロピーは、通常その体積(立方、三乗)に比例するのですが、測定結果は絶対現象面の表面積(平方、二乗)に比例していたのです。つまり、ブラックホール内の情報は、予想に反して、三次元的なものではなく、二次元的なものだったというわけです。これは非常に重要な発見です。つまりわたしたちが素朴に三次元的に拡がっていると思い込んでいる宇宙空間は、実は二次元情報が何らかの手続きを経て時空化されたものだったのです。そのような宇宙の一部として、わたしたち自身を含めた宇宙が具象化されているということが明らかになってきています。これが、現在の宇宙物理学がわたしたちに教えていることです。もし、このことを知らないまま、すでに時空化された幻影を実体や存在と思い込んだまま思想が形成されてゆくとすれば、その基盤は根底から覆されることになります。
要するに二次元(平面)情報が三次元以降の次元として具象化されている、という視点が導入されない限り、その時空化の効果として考えられる現象、例えば欲動や美、について明らかにすることはできないでしょう。
夢と時空間
例えば、夢は時空間として構成されています。通常、わたしたちは夢を見ている間、それが夢であることに気づきません。いわゆる現実とまったく同じように、夢のなかで普通に行動しますね。そして目覚めて初めて「ああ、夢だった」と気づきます。夢の場面は現実そのものであり、これは脳がそういう時空間を作り出しているわけです。しかも単に保持された記憶が再生されているのとは訳が違う。つまり見たことあるような風景とか、行ったことのある場所の感覚とかそういうものが順列組み合わせで出てきているわけではないのです。行ったことのない場所すら極めて具体的に作られる。例えば、月の上に降り立った夢を見たとします。もちろん月には行ったことがないにも拘わらず、月面に立った感覚とか、その雰囲気とか、踏んだ感じなどが、リアルに創り出されているわけですね。ということは、わたしたちの記憶や記憶の再生という機能は、単なる順列組み合わせではできていないということを意味します。
記憶、フーリエ変換、ホログラフィック理論
夢は記憶の順列組み合わせで出来ているわけではありません。つまり、記憶していた具体的なものを、組み合わせて繋ぎ合わせている、といった類いのものではないということです。夢は創作されたもの。つまり新たに作られたもう一つの現実空間なのです。では夢はどのようにして創られているのでしょうか。それは記憶という二次元情報が、ある種の手続きを経て、時空化されていると考えられます。この手続きは、例えば数学で用いられるフーリエ変換のような複素関数の積分によって時空化されていると考えることができます。
フーリエはナポレオンの時代の人ですが、フーリエ変換というのは、簡単にいえば、あらゆる関数は正弦と余弦の組み合わせで置き換えることができるという考え方に基づいています。つまり、あらゆる事物の関係性というのは関数ですが、あらゆる関数は正弦と余弦の三角関数の和によって表現される、という考え方です。サイン、コサイン、タンジェント、つまり波ですね,波。つまりあらゆる関数はサインとコサインの合成によって出来ている。あらゆる関数は、世界で起こるすべてのことは、基本的な波の合成で出来ているということです。
このように、二次元情報がフーリエ変換によって時空化されているという考え方が、現代のホログラフィック理論へと連続してゆきます。そして二次元情報であるホログラムが、時空化されたホログラフへと変換されるという視点こそが、意識、夢、幻覚の新たな解明に寄与してくれることになるでしょう。