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公開セミネール記録
「セミネール断章」
海馬症候群
hippocampus syndrome

2014年8月

講義:藤田博史(精神分析医)

セミネール断章 2014年8月9日講義より


講義の流れ〜第8回講義(3時間)の内容の流れを項目に分けて箇条書きにしました。今回、「セミネール断章」で取り上げているのは、水色の部分です〜

第8講:「観測問題としての精神分析」

ニューサイエンスという運動→ホログラフィック理論とグラフィック理論→写真とホログラム→干渉縞を記録する技術→部分が全体→ホログラムと脳→対象と個別→オブジェクトとサブジェクト→奥行きと平面情報→ホログラフィックな世界構築→海馬のキャッチボール→偽善の衣→素粒子論とビッグバン→対称性の破れ→茶筒とimplicated order→フーリエ変換→ラカンに足りないこと→構造化された構造→生命現象とねじれ→自閉症と回旋異常→フロイトと平等に漂わせる注意→自分の無意識を観測するフロイト→臨床と自分の心→観測問題と精神分析→脳はホログラフィックな器官→intensité とdifférence →強い観測とDSM→観測の強度のコントロール→弱い観測と無意識→プレコックス・ゲフュール→同時性の確認→自由連想の限界と欠点→transferenceとcountertransference →countertransferenceはあるのか→ルディネスコの症状→アルキビアデスとアガルマ→ホログラフィック重力論と欲動→3次元と欲動→欲動から欲望へ→進化と解像度→情報という考え方→ホログラフィック理論と超能力→マトリックスというたとえ→幻聴とホログラム→妄想気分と妄想知覚→麻酔と幻覚→認知症→鬱と幻覚→知覚情報のホログラフィック化としての観測→個別の知覚情報→ユングと信じること→フロイトと宗教→ユングとUFO→見るから見られるへの構造の変化


対象と個別

 ギリシャ哲学の時代から20世紀の構造主義にいたるまで、人間の思考を導いてきた素朴な思考法とは何でしょうか。それは、対象物は分解可能であり、分解されたものは個別に取り扱うことができるという発想です。もっともそれは、わたしたちが長い歴史のなかで常識と経験によって身に付けた常識という智恵だということもできるでしょう。そういう暗黙の了解事項によって、わたしたち人類の共同幻想が成り立っているわけです。
 したがって、量子力学が教えている一見常識に反するようなことは、なかなか受け入れ難いものです。たとえば、宇宙の一方の果てともう一方の果てとが光の速度よりも高速で瞬時に関連している、などということは認められないわけです。わたしたちの住まう宇宙は実在であり、身の回りのものは疑いようもなく存在しており、それらを観察し,分解することによって、より良く事物を理解できる、と信じながら知の歴史は築かれてきているのかも知れません。
 このような歴史が成立してきた背景には、言うまでもなく、人類が言葉を獲得してしまった、という特殊な事情があります。こう言ってよければ、言葉は世界を切り出すナイフのようなものです。わたしたちは言葉を獲得して、その言葉そのもので世界を切り出しながら、切り出した世界そのものが自明な現実であると認定し、そのなかに身を置いて暮らしています。

オブジェクトとサブジェクト

 自明であることとそうでないこと、という考え方をすると、わたしたちは、わたしたちの身体も含めて、取り敢えず現実に目の前にあって存在しているものは、確実だと信じて生きています。疑っていたら生きてゆけない(笑)。どこまでが当り前で自明か、ということを考えた場合、こうして机を叩いて音がする、手に机の抵抗を感じる、という経験を通して、ここには確固とした物質がある、と誰もが認定し、信じています。
 ところが物質は決して自明なものではないのです。現代物理学、特にホログラフィック理論においては、宇宙は空間的な広がりをもったイリュージョンであると考えられています。このイリュージョンは、宇宙のどこかに潜んでいる二次元情報が三次元化したものと想定されています。
 わたしたちが住まう「物理世界」が、経験に従って疑いようのない自明のことであると考えるのか、ホログラフィック理論が教えるようにイリュージョンだと考えるのかで、その先の思考がまったく違ってきます。世界や宇宙を構成しているのは物質で、これは疑いようのない事実で、現にわたしたちはその中で生きていて、わたしたちは主体として目の前にある対象物を対象として触ったり認識したりしている、と考えているとしたら、そしてそこに介在しているのが意識なんだ、という分解図式のなかで生きているとしたら、わたしたちの思考全体が、翻って、この分解図式のヴァリエーションによって形成されてきたのではないかと疑ってみなければなりません。

奥行きと平面情報

 それは二十世紀の構造主義においても然りです。生まれる以前から、世界は外在しており、生まれ落ちて、五感によってすでに外在している世界を認識し、認識の結果を積み重ねながら成長していく。つまり外部に用意されたものとしての世界というものがある、という認識の仕方なのです。
 たとえば視覚領域において窓の外の風景を見てみましょう。近い風景も遠い風景も認めることができます。近いところに建っている家もあれば遠いところにそびえるビルもある。しかしながら、この近い、遠いというのは経験のなかで獲得した一つの錯覚だとしたらどうでしょう。
 たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんが見た世界と、今わたしたちが見ている世界とはかなり様子が違うでしょう。おそらく、わたしたちがそのようなものと思っている遠近という感覚は獲得されていません。なぜなら、遠近は、網膜に到達する光そのもののなかに情報として存在しないからです。左右一対の眼に入ってくる光情報の位相が、脳のなかで処理されて、人類にとって都合の良い独自の世界空間を作り出しています。
 わたしたちはあたかも奥行きがあるような立体的な世界に生きていますが、これはわたしたちの知覚と身体運動が連動して後天的に獲得された認識の一種です。わたしたちの世界に奥行きがあったり、広がりがあったり、あるいは色がついていたりとか、その向こう側があったり、とか、そういうことが経験のなかで積み重ねられてきている。そして今ここに形になっている。
 ところがこんな立体に見えているこの視覚情報ですら、網膜の上に投影された平面情報に過ぎないのです。わたしたちがこうした立体化にチェンジしている元の情報は網膜上の平面情報なのです。
 もし写真を写すような形で、網膜に映った平面情報がそのまま脳のなかに保持されているとすれば、わたしたちの世界は平面でしかあり得ません。そうではなく、わたしたちの記憶は、脳のなかで立体を刻むような、あるいは立体を記録するような記録の仕方をされているだろう。これはもう、1970年代のデヴィッド・ボームやカール・プリブラムが考えていたことですが、つまり脳の記憶システムというのは、いわゆる単なるその物理的な変化、あるいは生化学的な変化、あるいは純粋に化学的な変化を保持しておくものではなくて、脳が全体としてホログラムの役割を果たしているという風に考えるわけですね。

ホログラフィックな世界構築

 ホログラフィックな世界構築というのは、実は、宇宙物理学、現代の宇宙物理学でいうと、この宇宙全体、まあ、われわれが観測した時には奥行きが見えたりとか近いー遠いがあったりとか、時間の流れがあるかのように見えているようなこの宇宙全体も、実はある、どこかに織り込まれている、あるいは隠されている、あるいは潜んでいる情報が、つまりホログラムがホログラフィック化されているものであろうと考えられています。

素粒子論とビックバン

 現代の素粒子論による宇宙の創生について少しだけ触れておきましょう。素粒子論の出発点というのは最初はゼロですよね、ゼロ。ところが宇宙の始まりに、たとえば、マイナスの粒子とプラスの粒子に分かれた。合わさるとゼロだけれども、合わさらなければ、それらが次々と分割されてゆく。そしてその分割の延長上に広大な宇宙が形成されます。
 最初はゼロすなわち無。しかしながらこのゼロからものが生まれてきます。つまりプラスのものとマイナスのものが同時に生成するわけです。このような分割が粒子ごとに、指数関数的にごく短時間のなかで一気に起こる。それがビックバンですね。そうすると最初はゼロだったのに、何らかのきっかけによって二つに分かれた。それがまたどんどん分かれていく。で、一気に拡がってしまった。とすると、こういうことも考えることができるでしょう。宇宙は元々プラマイゼロだから、またある時ゼロになるのでは、と。つまり全ての宇宙全体に拡がっているプラスとマイナスを足したらゼロになるのではと考えるわけです。ところが実際は、そうはゆかない。宇宙はすでにプラマイゼロではなくなっている。どこかでその対称性が崩れてしまっているのです。

対称性の破れ

 これが有名な「CP対称性の破れ CP Symmetry breaking」という考え方です。この事実を発見したのはアメリカの物理学者クローニンとフィッチで1980年にノーベル物理学賞を受賞しています。その後この事実を理論的に証明した小林氏と益川氏がやはりダブルでノーベル物理学を受賞したのはみなさんの記憶にも新しいかと思います。大ざっぱないい方をすると、宇宙はもう元(ゼロ)に戻れなくない状態になっているんだよ。なんかおつりが出てきてしまうんだよ、というような考え方です。
 医学部の学生の時、わたしはこのCP対称性の破れという考え方にひどく興味を持っていて、どうして崩れてしまったのだろう、とずっと考えていました。そしてそこで閃いたわたしなりの回答は次のようなものでした。それはつまり、もしかしたら、対称性が崩れているように見えるそのひずみあるいは余剰の部分に、実は宇宙の全情報が格納されているのではないか、と考えたのです。今でも、その考えは基本的に変わっていません。もちろん仮定的に考えているわけですが、対称性が崩れているその場所こそが、実は宇宙の全情報を格納している二次元情報としてのホログラムが位置する場所だと考えています。