公開セミネール記録
「セミネール断章」
海馬症候群
hippocampus syndrome


2014年6月


講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2014年6月14日講義より


講義の流れ〜第6回講義(3時間)の内容の流れを項目に分けて箇条書きにしました。今回、「セミネール断章」で取り上げているのは、水色の部分です〜


第6講:「海馬に関する最新の知見を精神分析および量子力学の観点から解体構築する」



フロイトの独自性→思春期と知→「存在と無」→フロイトを読みこむこと→原書を読むこと→量子の性質→観測者も被観測者→強い観測と弱い観測→representationと観測問題→第一の局所論と第二の局所論→一次過程と二次過程→一次過程とものの形→海馬の形→CA2の機能→現実と記憶の照合と書き換え→情報の回転→2次元情報と立体化→幻影としての重力→ホログラフィック化と重力→→精神分析の現場→クライエントの構成する世界→情動とホログラム→固着とホログラフィック化→嗅覚情報と観測の均一化→平面情報としての嗅覚→精神の病いとホログラフィック化→あきらめといさぎよさ→スキゾフレニアと笑い→ホログラフィック化の調整と治療→β-エンドルフィンについて→ホログラフィック化する時に生じる感情→弱い観測と達人→オールフラットとホログラフィック化→フラットであることとヒューマニズム→アスペルガーと平面情報→言葉と文章化とホログラフィック化→ホログラフィック化された情報→散文とホログラフィー→ホログラフィーと「私」→僕と私→アスペルガーと私→「起承転結」と「文法」と「意味」→音楽と聴覚映像→嗅覚と女性→核としてのホログラフィック化の元になるもの→原抑圧→迂回路→観測問題とホログラフィーの問題→ホログラフィーと海馬→意味とホログラフィー→情報の成り立ち→治療的な介入→エディプスコンプレックスと解決の仕方→自己分析による解決→大自然に観測されること





精神分析の現場



 わたしが精神分析の現場でおこなっている技法についてお話しします。
 診察室の椅子に腰掛けて、視野のなかに焦点を結ばず、軽く意識を散乱させた状態にします。つまり弱い観測状態に保つわけです。そこには、椅子があり、机があり、様々な調度品がある。そこでわたしは、現前している風景が自分も含めてひとつの物理的な系(システム)を構成していると弱く確認します。
 そこへクライエントが入ってきます。そうすると今度はクライエントが入ってきた状態でのひとつの物理的な系が出来上がる。当然クライエントの側にも観測問題が生じており、クライエントに応じた世界が形成されているわけです。それはクライエントの側から見た診察室の風景であり、診察者としてのわたしであり、その他諸々を含む全体的な系出来上がっています。
 そこでは、クライエントという生物学的存在とわたしという生物学的存在と、その他の無生物などなど、部屋のなかにひとつの物理学的な系が構成されている。
 そこでおこなわれているのはお互いの観測です。つまりクライエントは治療者を観測し、治療者はクライエントを観測している。そして両者の観測自体がひとつの観測されるものとして、一つの系が構成されている。

クライエントの構成する世界



 次に、クライエントが何か語り始めます。その時、わたしはどうしているか。誤解を恐れずにいうと、クライエントの話を聞いていないのです。話の内容を聞いていない。「先生ね、実は」と話し始める。「昨日、近くの、近所のスーパーに入った時に、客が万引きしてるところ見ちゃったんですよ」などと言われたとしても、話は聞かないのです。ではどうしているのかというと、クライエントの語り方のイントネーションとか口調とか目の動きとか手の動きとか、要するに世界構成をしている時の彼の世界に対する在り方の姿勢を見ているのです。
 しかし一方的な話がそんなに長く続くはずもなく、途中で沈黙が入ってくる。その時わたしは「万引き?」と呟くわけです。その時に重要なのはつぶやく言葉は必ずクライエントが使った言葉でなければならない。分析家からは新しい言葉を使わないこと。これはクライエントが3次元化している世界をできる限り分析家の都合によって改変させないためのテクニックなのです。可能であればクライエントの発した言葉の周波数に合わせて発声することが望ましい。
 そうすると話が続いてゆく。そうすると、クライエントが構成している世界のホログラムの様子が、もちろん言葉を通じてですが、次第にその配置がわかってくる。その配置というのは物理的な配置だけではなく、クライエントがその配置のなかで、どのような心的な状態で、どこに位置しているのかということも次第に見えてくる。

情動とホログラム



 興味深いことに、このような精神分析の過程において、情動的なものを伴っているディスクールの場合、そのホログラム化が強く出てきます。たとえば、叙述が細かくなってくるので、そこに情動が乗っていることが察知される。つまり叙述が細かくなると同時にホログラム化が進み、その付随現象としての情動も一緒に出てくる。
 耳を傾けているうちに、クライエントの世界のなかで、一定の光景の産出と情動の産出がパラレルであることがわかってくる。ちなみに、この情動の産出というのは、先ほど触れたように、出力された情報が再び入力されることにより、海馬のなかを何回転もするような記憶の強化(インテンシファイ)、あるいは再生産(リプロダクション)によって起こってくる。PTSDにおけるトラウマティックな記憶の想起というものは、そういう形で情動を伴って起こる。
 だから一般の考え方とは違うのです。強い情動がそこに結びついているから記憶が出てくるのではなく、記憶がでてくるから情動がそこで作成されると考えるのです。
 そこでは強いホログラム化が生じている。つまりそのクライエントはその出来事に対して強い観測を行なっているわけです。強い観測を行なっているから事物が一義的に定まっていく。一義的に定まるからそこに強い情動が伴う。ですから、その情動を解放させるには観測を弱めるようにすればよい、つまりその観測の様態を弱めるようにもってゆく。

固着とホログラフィック化



 観測の様態を弱める方法としては、経験的に様々な方法が考え出されています。たとえば何度も何度もそれを被爆させれば良いのではないかというアレルギーの脱感作療法のようなエクスポージャーというアプローチもあるし、体験を言語に移すことで強い観測を弱めていくという方法もあるでしょう。そもそも心理学的な治療技法というものは、セラピストが様々な経験から編み出しているものですが、そこで強い観測が起こって、ホログラフィック化され、情景としてありありと浮かび、たとえば、子供が泣いていたその声がもうたまらなく苦しいとか、そういう情動を伴ってくる。本当のところは、おそらく「伴う」のではなくて、記憶の想起によって「情動をそこに発生させている」のでしょう。


 フロイトは情動が記憶にくっつていると考えました。fixation 固着という考え方です。フロイトはリビドーが特定の記憶へ固着しているという言い方をしたのですが、わたしが考えているホログラフィックな立場からすると、リビドー自体はどこにでも固着し得るものであり、それは記憶の想起とともにそこにくっついて芋づる式に出てくるものなのです。ですからこれの対処法は観測状態を弱めれば良いわけです。「観測状態を弱める」ということが症状の除去にとって重要なポイントです。

嗅覚情報と観測の均一化



 観測状態を弱めるのに結構役立つのが、嗅覚情報です。鼻からの情報は、本当に不思議な性質を持っています。一般にわたしたちが重視しているのは視聴覚情報ですが、視聴覚情報の特徴は「解像度が高い」ということです。一方、嗅覚は脳に直結した特殊な感覚です。しかも大脳辺縁系に直接影響を及ぼし得る知覚なのです、嗅覚についてわたしが真っ先に連想するのはアロマです。
 アロマ・テラピーというのはなかなか侮れない方法で、当人が好むタイプのアロマを併用すると、観測が均一化するのです。これはわたしの臨床経験から引き出されたものですが、とても不思議です。
 自分で試してみると良いでしょう。何かすごいつらいことがあったりとか、苦しい時に、自分の好きなアロマを嗅ぐと、観測が均一化しますね。だから観測状態が弱くなって、トラウマティックな情動が沈静化されるのがわかる。


 プルーストの有名な『失われた時を求めて』のなかのマドレーヌを紅茶に浸す件などはまさにそうで、マドレーヌと紅茶の香りの絶妙のコンビネーションが特定の記憶に直結している。

平面情報としての嗅覚



 興味深いのは、空間的な広がりをもっているかのように考えがちな嗅覚も実は平面情報なのだということです。立体情報でないから興味深い。ですから、人間を過度な症状形成やホログラフィック化から救うためには、症状化された記憶をもう一度平面情報に戻すようなテクニックを使う必要があります。そのテクニックの一つとしてはアロマを使うという方法がある。ホログラフィック化が強いと、たとえば先ほど触れたCA2に異常がきていたりすると、現実と過去の記憶の照合関係がうまくゆかなくなって、それが幻聴となって現れたりすることがあるのかもしれません。

精神の病いとホログラフィック化



 幻聴は、記憶がホログラフィック化される様式の一つと考えられますが、わたしは、人間の精神の病いのほとんどが平面情報を立体化する時に生じてくるのではないか、という印象を強く持っています。
 たとえば鬱の患者さんの場合、過去の記憶に遡って、それを何とか打ち消そうとしますが照合関係がうまくゆかない。もう過去の記憶なのだから仕方ない、とは思えないのですね。
 鬱の基本病理はこの海馬のCA2の神経細胞の degeneration が関与しているとわたしは考えています。その原因は、恐らく低酸素状態か、持続して分泌されているコルチゾールの影響なのかもしれない。いずれにしても、CA2に病因があると考えています。さらには、鬱だけではなくスキゾフレニアやPTSDも非常に類似している。PTSDの場合は、苦しかった情景(平面情報)が自動的にホログラフィック化されてしまうのです。


 結局、人類は、何でもない平坦な情報を、煌びやかな立体的なドラマに仕立て上げながら生きている「宇宙の創造主」なのかもしれません。「生きているのは素晴らしい」とか、「小鳥のさえずりって何て素晴らしいのだろう」とか、「生きててよかった」とか、そういうドラマ仕立てにしているものが、実は海馬の作用なのだとしたら、脳科学はその先にどうやって進んでゆくのでしょう。海馬は、人生をドラマ仕立てにする分、人生における喜怒哀楽も一緒にそのなかに持ち込んでしまう。そして正常や異常も巧みに捏造してしまう。


 したがって、海馬の機能そのものを安定化させる方法を見出してゆく、ということが科学的かつ医学的な水準において非常に重要になってくると思われます。