公開セミネール記録
「セミネール断章」
海馬症候群
hippocampus syndrome


2014年5月


講義:藤田博史(精神分析医)


セミネール断章 2014年5月10日講義より


講義の流れ〜第5回講義(3時間)の内容の流れを項目に分けて箇条書きにしました。今回、「セミネール断章」で取り上げているのは、水色の部分です〜


第5講:「心的領域における量子論」



イノベーションの在り方→オールフラットな状態→フラットなものの立体化→2次元情報の3次元化→一切が無→モノクロームの世界→ケニア山登頂→色即是空空即是色→ニヒリズム→哲学的直観→アフリカのサバンナにいたこと→意味のないこととキーワード→スキゾフレニアとキーワード→キーワードと治療→スキゾフレニア・ジンプレックス(単純型精神分裂病)→認定医制度について→中沢正夫先生について→新海安彦先生とドイツ語→キーワードとタイミングとリスペクト→薬を出すマシーンとしての精神科医→「心を病む」とはどういうことか→キーワードの投与→精神療法を阻害するSSRIについて→薬を足すということ→薬を使わないで治すということ→ウォッシュアウトする勇気→単剤療法→アスタキサンチンとα-リポ酸→高濃度ビタミンCとグルタチオン→アスタキサンチンと海馬→精神科医の量子状態→鬱とアスタキサンチン→物理学的意味における幻影→知覚器官は平面→知覚情報は平面→精神症状に対応する平面情報→ホログラフィック化システムとしての脳→3次元プリンタの問題→心とホログラフィック化→CPUと反復→ノイマン型コンピュータの仕組み→海馬のサーキット→CPUと海馬→一方向と情報処理→回転と反復と情報処理→フラットな状態の体験→2次元情報に見えるということ→認知症とアスタキサンチン→ホログラフィック化としての幻聴→量子力学と超ひも理論→超ひも理論あるいはM理論とホログラフィック化→心的領域の超ひも理論→心的領域のホログラフィック理論→脳のコンディションと世界の変容→観測問題と量子状態→重力と欲動→2次元情報の3次元化と欲動→治療者としてのクライエント→量子状態の干渉→イノべーションとスティーブ・ジョブズ→2次元情報の3次元化としての生命→情報の結合以上のもの→マインドフルネスと集中→オールフラットと拡散→マインドが開くということ→幻影の在り方の違い→イノベーターとは→聴いてしまった言葉と症状→固有名と症状→精神分析と3次元化された情報の2次元化→フラットとモノクローム→夢の質と内容の変化→人類の前にモノリスを置く→モディリアーニの黒目→排除は三代で完成する→目を描かないこと→ホログラフィック化の象徴としての目→オイディプス神話と目→シュルレアリスムと目→ブラックホールと特異点→心も宇宙→夢の臍→出遇い損ねと盲点→父の名とスキゾフレニアとファルス→フラットな地点に立つこと





重力と欲動



 ラカンも含めて、従来型の思考法は、研究の対象となるなにものかを客観化して、それを構成する要素間の相互関係について語る、という手続きを取ることがほとんどです。しかしながら、わたしたちが確実と想定している物質の世界ですら、今日のホログラフィック理論によれば「幻影」ということになってしまう。わたしたちが対象化し、それと認識している「もの」や「こと」のすべては、脳が作り出している幻影ということなのです。これは従来の唯心論とも独我論とも現象学とも唯識論ともちがう、純粋に最先端の理論物理学の提出している思考法なのだということが重要です。
 物理学的な意味において、精神症状もまた、脳が作り出している一つの空間情報なのです。厳密にいうと2次元情報が3次元化されているのです。興味深いのは、どうしてこの「2次元情報が3次元化されている」という理論が出てきたかというと、重力というものを説明するためだったのです。従来型の相対性理論でも、量子力学においても重力がどうして生じるのかを完全には説明できなかったのです。
 ところが「重力とは2次元情報が3次元される時に付随する一つの性質なのだ」と仮定すると色々なアポリアがすんなりと説明できるようになる。重力というのは、2次元情報がホログラフィック化された時に生じる余剰の部分なのだ、と考えるのです。そういう風に仮定すると重力の謎が非常にシンプルに解決してしまう。
 そこでわたしは次のように考えました。つまり、生物においては、遺伝子情報という2次元情報がホログラフィック化される時に、生物そのものを動かしてゆく原動力すなわち欲動が生じてくるのではないか、と。生物では遺伝子情報が空間化されて身体になってゆきますね。その時に余剰として生じてくるのが欲動だと考えるわけです。精神分析では、衝動とか欲動と呼ばれているある種の力は、2次元情報が3次元化された時に生じると考えるのです。これは藤田理論です、わたしの仮説。でも不思議なことに「これは間違いないぞ」という確信が湧いています(笑)。

2次元情報の3次元化と欲動



 2次元情報が3次元化された時に生じるのが欲動。そしてこの欲動によって生命は動かされている。いわゆる昆虫などで働いているような本能と言われているものもありますし、人間のように、狂った生き物みたいにあらぬ方向に拡散しているような欲動もあるし。ご存じのように、晩年のフロイトは人における欲動を生の欲動と死の欲動の二つに分けて考えました。
 生命を前に推進させているような不思議な力。わたしはこれを2次元情報が3次元化される時に生じてくる一つの効果だと考えています。そのように考えることによって、ホログラフィックされた欲動を制御するときに生じてくる様々な精神症状、例えば境界例、リストカッティング、衝動行為、摂食障害などについて、新しい見かたを導入することが可能になります。
 では2次元情報という平面情報の典型的なモデルはなんでしょうか。それは言葉です。2次元情報である言葉が脳にインプットされ、加工され、それが3次元化される時の様式の違いによって、拒食症であったり、暴走族であったり、リストカッターであったりすると考えるのです。おそらくある特定の情報が、他の情報と結びついてホログラフィック化される様式によって、リストカットに結びついたり、拒食に結びついたりする。そのような情報、とりわけ特定の言語情報が、そのクライエントの生活史のなかに発見され得ると考えています。
 ホログラフィック化された心的空間の元になる2次元情報のなかに、拒食症にならざるを得なかったような、平面情報が組み込まれていると考えるのです。したがって、注意深く精神分析を進めてゆけば、情報のなかに何らかの加工を受けた痕跡が見つかるはずです。ですから従来の心理学者や精神科医の発想法とは、まったく違うのです。

治療者としてのクライエント



 従来型の治療構造において、見逃してならないのは、何よりもまず、クライエントのみならず治療者も症状を出しているのだということです。治療者の空間のなかにクライエントを導いて何らかの操作をおこなっているのだということ。クライエントは治療者の空間のなかに立ち現われているに過ぎないのだということ。ですから同時に、治療者はクライエントの空間のなかに立ち現われているということになります。
 ですから、クライエントは治療者を治療するもう一人の治療者なのです。通常、治療者はそのことを忘れているか、気づかないでいる。しかしながら、クライエントの役目のひとつは、治療者を治療することだといっても良いでしょう。
 「先生、まだ夢見ているの」でも構わないし「先生、まだ薬を処方するの?」でもよい。治療者に何かを気づかせようとしている。二人の観測者が互いに観測し合うという関係がそこに成立しているということ、つまり互いの量子状態が干渉し合っている、ということに気づいていることが肝要です。
 今述べようとしていることは、いわば知の領域におけるイノベーションの話なんです。治療関係というものを量子論的に根本的に見直すこと。イノベーションといえば、わたしと同い年でもっとも尊敬する人のことを思い出さずにはいられませせん。スティーブ・ジョブズのことです。
 ご存じのようにジョブズはアップル・コンピュータの創始者ですが、彼が創り出したのは実はコンピュータではありません。コンピュータの格好をしたモノリスなんです。つまり、人類への警鐘あるいは目の前に置かれた訳のわからないもの。モノリスというのは、スタンリー・キューブリックの映画に出てくる、石で出来た一枚の板のようなもの、つまり謎そのものなんです。つまりジョブズは、わたしたちに謎をかけているんです。その謎は、とりあえずコンピュータという形を取っている。しかしのそのポジションは、あのような形をしたなにものか、なのです。突拍子もない話に聞こえるかも知れませんが、精神医療の領域でもこのようなモノリスを出して見せなければならない。すくなくともわたしは、できるかどうかわかりませんが、その努力をやめるつもりはありません。

イノベーターとは



 人が注目する仕事をしている人を見たとき、あるいは新しいアイデアを出している人に出会ったとき、わたしはまず最初にその人が真のイノベーターかそうじゃないかというふうに考えます。どんなに立派な研究をしていても、この人はイノベーターかそうじゃなのか、と探ってしまいます。たとえば、ジョブズは、開発者が自信満々に持ってきたアイデアを、すぐさま却下することが屡々あったそうです。一例として、iPhone にテレビ機能を追加する、といういかにも一般受けしそうな提案もそのひとつでした。日本に企業ならすぐさま採用したであろうそのような提案も「不要」と一蹴してしまいました。この判断はイノベーターのもつ特殊な能力が関与する判断だとおもわれます。
 そんなことを考えていると、世の中で「立派だ」と言われている人たちの殆どが資本主義の価値観の範囲内でのみ通用する偽のイノベーターに過ぎないことが見えてきます。真のイノベーターは、人類の前に乗り越えるべき大きなモノリスという謎を置き、そして、それを乗り越える術をわたしたちに暗示する。そういう人こそが真の意味でリスペクトするに値するイノベーターなのです。

聴いてしまった言葉と症状



聴講者 2次元情報としての言葉がホログラフィー化されて、たとえば一つの病態として形作られてゆくときに、その2次元情報としての言葉というのは、われわれが常に連綿と自分のなかにあるものと思いがちですよね。ところが、全然関係ない本当にドライな言葉などが突然本人のなかを通ってある病態として発現してしまうという可能性も否定できない。


 実はそれが大きな比率を占めていると思います。意識的にせよ無意識的にせよ、聴いてしまった言葉が、その時は何ともなかったのだけれど、後から心のなかで増幅されて症状として出てくる。


聴講者 聞かなきゃよかった、聞かなきゃよかったみたいな。


 たとえば、心ない親が乳幼児に向かって「お前は望まれて生まれてきた子じゃないんだよ」と言ったりする。リアルタイムにはその言葉の意味はわからないけれども取り敢えず乳幼児の記憶システムに録音される。その言葉がその後思春期になって意識のなかへ再生され、症状を引き起こす。
 あるいは「お前は呪われている」という言葉を掛けられた人も、最初は冷静に理性的に受け止めますが、5年ほどしてある時ふと「呪われている」と言われたことを思い出し、その瞬間に、本当に呪われ始める、ということが起こる。
 言葉の2次元情報というのは、リアルタイムにホログラフィック化される場合と、一旦海馬や皮質に保存されてたものが、後から取り出されてくる。それがすでにホログラフィック化された世界のなかに、別情報として立体化され、時に強い情動を伴って、既存の世界のなかへ重ね書きされていくということがあり得る。それが症状として現れる。

固有名と症状



聴講者 そうすると先生、たとえば人間の名前とかというのも当然その、名前そのものが病気を生み出すということも、乱暴かもしれないけど、あり得ますよね。


 ソシュールはそのことに気がついていて、晩年にはアナグラムの研究に没頭しました。たとえば、サテュルヌス詩のなかで反復される固有名詞に注目しました。
 実はさきほど、キーワードと言いましたが、そのキーワードは非常に高い確率で固有名なのです。固有名はとても重要な役割を担っています。
 ちなみにラカンは、世界そのものを名指す水準の固有名の位相をサントームと呼んでいます。これはsin(罪) + homme(男)=「罪深い男」とも読めるし、saint homme で「聖なる男」という意味にもなる。さらには Saint Thomas d'Aquin つまり「聖トマス・アクゥイナス」が連鎖してくる。
 人に症状を出させる要件としては、確かに複合的な要素もあるかもしれませんが、実はたった一つの言葉であったり、僅かな二次元情報であったりすることもまた多いように思われます。

精神分析と3次元化された情報の2次元化



 精神分析というのは、誤解を恐れずにいえば、3次元化された情報をを2次元に戻すことなのです。ですから3次元化されて立ち現れている複雑な世界や対象も、実はそれらを作っている2次元情報があり、そこに辿り着くためにおこなわれるのが精神分析なのです。
 興味深いのは、3次元情報を2次元情報化する時に、付随していた欲動がなくなるということです。したがって、情報が非常に取り扱いやすくなり、数学的な操作が可能になり、情動に邪魔されることなく淡々と情報を扱えるようになる。


聴講者 3次元情報をどうやって2次元情報化するのですか。


 3次元情報を2次元情報化すること。そのためにおこなう精神分析の技法ですが、端的にいうなら、それは転移を操作する技法なのです。転移とは、クライエントの愛の対象の位置を、分析家がクライエントの空間のなかで占めることです。
 転移を操作すると、相手の空間情報が何によって形成されているかということが見えてくる。たとえば、雪の結晶には最初の凝結を起こさせる核になる粒子が存在しますが、雪の結晶がそこから拡がっているのと同様に、クライエントが出している症状もまた、その核の部分が、転移を誘発することによって見えてくる。フロイトはそのことを直観的に知っていたのでしょう。
 精神分析でおこなわれる核への接近法が「自由連想法」ですが、これをホログラフィック的な話に置き換えるならば、空間化されている情報群を徐々に2次元情報へと還元していくと、実はその空間化されているその異常な空間化の2次元情報に辿り付けるという訳です。それが量子論的精神分析です。

フラットとモノクローム



聴講者 自然についてなのですけれども。自然とあと先生が前の時にもおっしゃっていた日本文化に内在するサンブランって。たとえばわれわれが自然に対して対峙するとき、たぶん藤田先生と違う感じ。たとえば僕なんかだと、たとえばアルプスの山に登っても、そこで自分の意識とか自分のそういうものの想定のなかであある種の結論を得て戻ってきてしまう場合が多い。


 納得して戻ってきますね。


聴講者 納得して戻ってくる。ああ、よかった、納得して戻って来ることに、非常に、自分の、今の話を聞いていると、ああ、自分も結構自然に恵まれたところにいて、そういうもののなかに結構飛び込んでいくのだけど、違う所は何か。自分のなかの意識とか、意識の中で納得して戻ってきてしまっているのですよ。ですから降りた時に、確かに微妙に似たような経験はあるのですけれども、たぶん質的に相当違うだろうな。そうなったときに、見せかけ、というか、サンブランっておっしゃっているけれども、なんかその、もう既にそこにフィクションとか言語を介在させたもので認識しようとしている自分の気持ちが働いてしまっているのかな、と。逆にそういうものがあるとしたらそういうものから逃れるには、いったいどういう3次元操作が必要なのかなって、思うのですけれども。


 ある意味、馬鹿になることでしょうね。なまじ知識が豊富だと、たとえば山に登って、遠くに蛇行している千曲川を見たとたんに有名人の歌が浮かんだりするわけです。それは確かに知ではあるのだけれど、その知にすでに毒されているわけですね。


聴講者 あの、庭を見て、木々の緑で全部歌が出てきてしまって。万葉集がばーっと浮かんできたりとか。


 そういう風に空間が作られてしまっているのです。ですから、そこから丁寧に意味を剥ぎ取ってゆかなければなりません。そうでないと分析家のヴィジョンであるオールフラットな2次元的な風景に出会うこともできません。そうなるともう、様々な色や形が際限なく現れ、そこへまた無数の意味はついてくる。色々なものがへばりついて3次元空間を現前させている。


聴講者 だから何しに来たんだろうと逆に思うのですよ(笑)。


 真の分析家のヴィジョンというのは、見えるものの領野に何もへばりついていない状態です。これはいわばモノクロームの状態ですから明るさの調節ができるのです。モノクロームの状態であれば、暗くすることもできるし、明るくすることもできる。暗くすれば、限られたものしか見えなくなるし、明るくすれば様々なものが見えてくる。これが精神分析における精神分析家の側の観測問題です。