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公開セミネール記録
「セミネール断章」
精神分析の未来形

2013年10月

講義:藤田博史(精神分析医)

セミネール断章 2013年10月12日講義より


講義の流れ〜第10回講義(3時間)の内容の流れを項目に分けて箇条書きにしました。今回、「セミネール断章」で取り上げているのは、水色の部分です〜

第10講:「Schizophrénieの構造新論」

統合失調症という呼び方→呼び方をかえることと隠蔽→心理的な要因だけではわからないこと→ハードウェアの異常→量子状態の異常→脳の回路形成の発達の異常→スキゾフレニアの原因と海馬→YとI→海馬とストレスと精神病→熟と成熟→ハードウェアの機能不全→人間の心と編物とラカン→「ヒポカンパス症候群」について→PubMedについて→スキゾフレニアとラポール→質問することと調停すること→真理を明らかにすること→最初の結び目→第二次性徴期と発病→責任ある立場と発症→女性と結び目→男性とトーラス→女性と開放→男性と解決→女性と非決定→オープンとクローズド→女性の身体はクラインの壷→陽性症候と陰性症状→認知の障害→夢の分析の応用→ラカンとスキゾフレニア→母の欲望と子の欲望→父の否→対のシニフィアン→隠喩と換喩→共時と通時→人間の欲望は他者の欲望→排除と一番目のシニフィアン→象徴的去勢・想像的去勢・現実的去勢→二足歩行と言葉→貨幣→睡眠と退行→精神分析の有効性→精神分析とスキゾフレニア→海馬の機能不全→身体依存性→聴覚性の幻覚と視覚性の幻覚→海馬の機能不全と精神症状→精神分析に対するコペルニクス的転回→天動説でものを見ること→量子力学の発想法とものの考え方の提示→科学とエモーション


スキゾフレニアの原因と海馬

 母親の子宮の中で胎児が成長してゆく過程において、各臓器が形作られてゆくわけですが、脳の発達においては、神経細胞の枝が伸び、無数の神経が相互の接合を果たし、複雑な一つの情報処理装置としての脳が形成されてゆくわけです。古い言い方をすれば神経回路、新しい言い方をすれば刻々と変化する量子状態が生じていると考えられます。わたしは、脳の異常とは、おそらく、ネットワークの異常というよりも、量子状態の異常と表現した方が適切ではないかと考えているところです。そして、その異常というものが、マクロなものではなく、ミクロな異常であり、変動幅があって、いわゆる正常からスキゾフレニアやマニーやデプレッションのような症状を現わす、という風に考えています。精神科医になって30年になりますが、今現在考えているのは、脳の発達途上における情報連絡網の神経生理学的な形成異常が、様々な精神病の根底にあるのではないかということです。特に大脳辺縁系(リンビック・システム Limbic system)の機能とその障害が重要です。

海馬とストレスと精神病

 アスペルガー症候群、サヴァン症候群などの自閉症群、スキゾフレニア、双極性障害 bipolar disorder、あるいはそれらにまたがるような症状を示す精神疾患などは、いずれも大脳辺縁系の海馬 hippocampus の機能障害がその根底にあるのではないかと考えています。それと歯状回 dentate gyrus も関与している。わたしは、乳幼児期から思春期にかけての持続する低酸素状態や過剰なコルチゾールによる侵襲が、海馬の機能に大きな影響を与えているのではないかと考えています。わたしの知るアスペルガー症候群の男性は、小顎症があり、舌根が沈下しやすく、小さい頃から睡眠時の無呼吸状態を繰り返していたことがわかっています。海馬は、成人してからも成長し続ける不思議な部分であると同時に外部からの侵襲に弱く、ちょっと血の巡りが悪くなっただけでも機能不全を起こしやすいデリケートな部分なのです。さらにストレスもまた海馬の機能に障害を与えることがわかっています。すなわち、持続的なストレスに晒されることにより、副腎皮質からステロイドが多量に分泌され、海馬がダメージを受けてしまうというメカニズムです。持続的なストレスがかかると海馬が萎縮する、ということが知られています。
 スキゾフレニアや双極性障害を病んで亡くなられた方たちの脳が、大学の医学部の研究室に保存してあって、これらの脳の標本を調べてみると、海馬が萎縮している。興味深いことに、通常このような細長い組織の場合、その機能は輪切りにしたような形で分布するのが常なのですが、海馬では、長軸に沿って柵状に機能が分布している。例えて言うなら「裂けるチーズ」みたいな構造になっている。これは不思議なことです。
 それから歯状回には皮質があります。この皮質の機能についても明らかにしてゆかねばなりません。おそらく、近い将来には、これまで原因をはっきりと突き止めることのできなかった精神病や自閉症などの共通の障害として、海馬の機能不全が明らかになる日もそんなに遠くないような気がします。

未熟と成熟

 では、海馬の機能不全について、どのようにアプローチするのかについて考えてみましょう。一般に医学では、あるファクターを直接測定できない場合は、そのファクターと連動する別のファクターを測定することによって間接的に測定する、という手法をとります。例えば、がん細胞を直接測定するのではなく、がん細胞から放出される微量なタンパク質やがん細胞に攻撃を仕掛けるタンパク質などを測定するわけです。このようなタンパク質は腫瘍マーカーと呼ばれています。
 興味深いことに、海馬や歯状回の成長の様子を知るマーカーがあるのです。未熟なのか、成長したのかというその二つのポイントを示してくれるマーカーです。未熟な状態を示すマーカーはカルレチニン Calretinin 、成熟状態を示すマーカーはカルバインディン Calbindin と呼ばれています。
 したがって、カルレチニンとカルバインディンを測定すれば、その人の海馬体、特に歯状回がどの程度発達しているのか発達していないのか、未熟なのかということが、ある程度測定できるのです。たとえば、測定の結果、カルレチニンが高いということはその人の歯状回と海馬の発達が遅れており、未熟な状態なのだということがわかる。逆にカルバインディンが多い場合は、海馬が成長しているということになります。
 医学では人間を実験材料に使うことはできないので、ラットやマウスを使います。ラットやマウスに連続的にストレスをかけて、分裂病様の状態をつくり出す、あるいは食欲不振とか,餌をとれなくなるとか、そういう状態をつくり出しておいて、カルレチニンを測ると増加している、つまり未熟な状態に傾いてしまっているのです。あとはPTSDの患者さん、ストレスの後、障害がでてくることがありますね、PTSDとか、あと双極性障害の方の亡くなった方の脳の標本から、海馬の標本から、この二つのマーカーを測定すると、やはりカルレチニンの増加が認められます。そしてそれと同時にカルバインディンの低下が認められるのです。

ハードウェアの機能不全

 精神疾患と言われているものは、新しい部分の、皮質の変化ではなくて、大脳辺縁系のなかでも海馬や歯状回のなんらかの機能不全によって引き起こされているということが、おそらくほぼ明らかです。これに目をつけないはずはないですね。製薬会社のことを言っています。脳内のケミカルなアンバランスがもし起っているとしたら一番最初にそれに対してなにかこう有効なことが行なえるのはやはり製薬なのです。
 実際にアステラス製薬が、藤田保健衛生大学と共同で、海馬と歯状回に対して治療的な効果を及ぼす薬剤の研究開発に取り組んでいます。ですから、もしかしたら将来、「わたし、幻聴聴こえちゃった、ちょっと薬局で幻聴を治す薬買ってこなきゃ」と風邪薬のように買って治すとような時代が来るかもしれません。 
 これはコンピュータに喩えるとハードウェアの修理に当たります。もちろんハードウェアの部分の異常をどんなに唱えても、わたしたちが実際に構築している精神世界、感情を伴った豊かな世界のことを、ハードウェアの水準だけで説明することはできません。そこで役に立つのが精神分析の構造的な仮説です。ハードウェアが異常を起こしたときに、まずわれわれが既に構築してしまったこの世界のどこから綻んでいくのかとか、どこから壊れていくのかということを精神分析的に明らかにする必要があります。

人間の心と編物とラカン

 セーターの喩えでいうと、編み始めが結ばれていない状態のままセーターを編み上げてしまった状態。この場合、編み始めの部分を引っぱっちゃえば、パラパラッと全部、セーターほどけてしまいますよね。ちなみに、そのような形でメンタルな部分が構造化されているという風に考えたのがジャック・ラカンです。
 ラカンは、人間の心を構造として、一つの編み物のような構造として考えました。そこで使われているのがシニフィアンの連鎖という糸なわけです。わたしたちが言葉を話している時には、シニフィアンの連鎖が作られているのです。つまり言葉を連続的に発声することによって、何か意味が運ばれているような感じがする、何かわかったような気がする。わたしたちはこういうシニフィアンを連続的に音声情報として発声し、鼓膜を振動させ、物理的な振動は中耳と内耳を経由して神経電位的な信号に置き換えられ、脳のなかでそれが何か一定の意味のある言葉と見なされる、ということを繰り返しています。ですから脳の生理学的な解明に関する知見がどんなに進歩しても、それとは別箇に精神分析がその機能的な側面の解明に寄与してゆかなければなりません。

「ヒポカンパス症候群」について

 ひとつはハードウェアの異常、ハードウェアの異常は、おそらく大脳辺縁系のなかでも海馬体と言われている部分の異常が基礎にあると考えられます。おそらく海馬体のなかでも特に海馬と歯状回の発育不全こそがその中核でしょう。海馬は、前頭葉、側頭葉、後頭葉、頭頂葉の相互連絡神経網を形成する時に重要な役割を果たしていることがわかっています。たとえば前頭葉。前頭葉と頭頂葉を結ぶ時、一旦海馬を経由する。そういう神経網が形成されるのです。ですから海馬は、こう言って良ければ、脳に分散している諸機能を統合し、交通整理するコントロール・センターのような役割を担っています。しかもそれはロジックな部分のみならず、情動的な部分も含み、かつ記憶も海馬が関与していることがわかっています。
 ですから近い将来ーーーここで予言しておくとーーースキゾフレニアや双極性障害という呼び方はなくなって「ヒポカンパス症候群」という形で纏められる可能性は大いにあるでしょう。