⭐️図解 基礎からの精神分析理論⭐️
基礎編 〜フロイト/ラカン理論を藤田理論から読み解く〜
Leçon5 象徴界の構造とアブジェクシオン(1)




榊山裕子



先回の基礎編Leçon4では
「想像的ファルスと象徴的ファルス」を
下記の二つの図を用いて説明した。

 最初の図は、désir d’être le phallus(ファルスであろうとする欲望)すなわち「存在の欲望」である。


 母は自分の場所に欠けたものとしての子を欲望し子は母の欲望にこたえて母の場所に欠如するファルスであろうとする。想像的ファルスの欠けた「ーφ moins petit phi」(想像的ファルスの欠如の心像、子にとっての鏡像、母の場所に欠如するファルス)と子にとって自分自身であるφ petit phi(想像的ファルス、小文字のファルス)が、下記の図のようにめまぐるしく交錯する。







 この二者関係に割って入るのが、Φ grand phi (グラン・フィー 大文字のファルス 象徴的ファルス)である。下記の図では母と子の間に割って入る壁のように描かれている。このΦは先述のように、Φ=S1、すなわち「象徴的な父」としての「第一番目のシニフィアン」である。





 こうして「象徴的な父」としての第一番目のシニフィアン(=父ーのー名 Nom-du-Père)の介入、すなわち原抑圧(Urverdrängung)が生じる。ここでアブジェクテされた母の欲望(ーφ)は、ファルスのシニフィアン(Φ)によって抑圧される。この想像界から象徴界への異質な接合によって「母にとってのファルス(φ)でありたい désir d’être le phallus」という「存在の欲望」は、「父のようにファルス(Φ)をもちたい désir davoir le Phallus」という「所有の欲望」に変換される。この「ありたい」から「もちたい」への欲望の形式の変換は、人間の文化を具象化する原動力になっている。(藤田博史「アブジェクシオンを超えて」『人間という症候』より)

母と子の近親相姦的な二者関係の間にΦが割って入ることを
「象徴的去勢 castration symbolique 」と呼ぶ。

 つまり去勢とは、母と子の間の性的な関係を断つこと、ざっくばらんに言えば、男の子がお母さんにおちんちんを行使するのを禁止することです。つまり実際におちんちんを切るわけではありませんが、象徴的に両者の関係を断ち切ること、それを象徴的去勢と呼んでいるわけです「セミネール断章 2012年2月講義より」)

以上が、先回の復習である。


 今回は、母と子の二者関係の間にΦが割って入る「象徴的去勢」によって成立した象徴界の構造を記した藤田理論のよく知られた図を紹介する。





 「構造」はそこから何かがはじき出されることによって成立し、安定する。二項関係の構造面からはじき出されたのが第三項である。この排除の効果を今村仁司は「第三項排除効果」と呼んでいる。この第三項の位置にくるものとして、文化人類学における「スケープゴート」、近代経済学における「貨幣」、そして精神分析における「真理」などが考えられる。

 第三項は、構造が構造たり得るための論理的な必須項である。あらゆる二項的な関係は、このような第三項の出現によって初めて構造としての地位を獲得する。たとえば文化人類学における「スケープゴート scapegout, bouc émissaire」、あるいは近代経済学における「貨幣」はいずれもこの第三項の位相を取っている。精神分析で考えられる象徴界もまた、見えざる第三項によって保障されるような構造面を形成している。つまり象徴界は第二番目以降のシニフィアン(Sと表記する)が、第一番目のシニフィアン(S)を第三項とする形で構造化されている。つまり第二番目以降のシニフィアンは第一番目のシニフィアンに照合されること、いい換えるならS2はSの隠喩 métaphore として機能することによってその全体性 totalité を確保している。(「アブジェクシオンを超えて」『人間という症候』)

 精神分析で想定されている「象徴界」の構造は、第二番目以降のシニフィアン=S2としての構造面と、第一番目のシニフィアン=S1としての第三項の二つから成ると考えられる。下記はそれを図示したものである。






 このSは、母と子の二者関係の間に割って入る「象徴的ファルス」=Φのことでもある。一方、この第一番目のシニフィアン(S)に照合されることによって、Sの隠喩として機能するのが、二番目以降のシニフィアンであり、「大文字の他者」=A と呼ばれる。下記はそれを図示したものである。






 上記が「象徴界の全体図」であるが、この上方排除されたのが「象徴的ファルス」であるとするならば、下方排除されるのが「想像的ファルスの欠如」である。そしてこの下方排除こそが「アブジェクシオン」(ジュリア・クリステヴァ)である。




 順序としては、下方排除、すなわちアブジェクシオンが上方排除に先立つ。

 精神分析の領野でいえば、ミメティックで連続的な想像界は、その一部が排除され、そこへ不連続なシニフィアンが接続されることによって初めて語られ得るものになるのである。つまり想像界のいわば部分追放である下方排除(アブジェクシオン)を経た後に原抑圧が作動して象徴界の要たるΦが上方排除されるのである。(「アブジェクシオンを超えて」『人間という症候』)



2016 .9