「図解 基礎からの精神分析理論」をはじめるにあたって、「序」のタイトルに「エクリチュール」という語が出てくることを不思議に思われる方もいるだろう。またエクリチュールということば自体が耳慣れないという人もいるだろう。
実は「図解 基礎からの精神分析理論」は「エクリチュールによる基礎からの精神分析理論」というタイトルにした方がより正確であったかもしれない。ただしそれではわかりにくいのと、参考書的なテクスト作りのために、タイトルではあえて「図解」ということばにしたが、これから紹介する式や図は、すべて「エクリチュール」と呼び替えることが可能である。
エクリチュールということばはフランス語のécriture からきている。もともとの辞書的意味は、「文字」「筆跡」「文体」などであるが、フランス現代哲学では、パロール(話しことば)parole との対比で「書きことば」もしくは「書かれたもの」を意味する。
またエクリチュールは音声によって語られたことばを文字に書き写したものだけを意味するわけではなく、そこには音声言語にはない固有の性質がある。それを藤田は「RSIと補填」のなかで次のように述べていた。
「エクリチュールは話された言語の書き写し以上のなにものかを含んでいる」
たとえば音声言語は一度に全てを聞き取ることはできない。しかしエクリチュールは一望に収めることによって、瞬間的に全体の意味を理解する可能性を持つ。
さて「言語の書き写し以上のなにものかを」含むとされるエクリチュールの一つとして、ここで提示されているのは、ラカンのボロメオの結び目である。
それは口頭で説明しようとすれば大変難解だが、書いてみせればその構造を一目瞭然で了解することができる。それぞれの輪に付けられた文字 R S I はそれぞれ le Réel(現実界)、le Symbolique(象徴界)、l’Imaginaire(想像界)を意味するが、これらの相互関係について、ことばで説明しようとすれば多くのことばを費やす必要がある。しかしそれが一目で捉えられるエクリチュールとして眼前に現出するわけである。
もちろん外国語を習得するのに一定の時間がかかるように、あるいは一つの数式を理解するために一定の勉強が必要なように、このエクリチュールが何を意味するかを知るためには一定の知識の習得が必要だが、いったんそれを得ればさまざまに応用可能となる。このエクリチュールについての説明はいずれ回が進むうちに行う予定だが、ここではまずエクリチュールの可能性を指摘するにとどめる。
さて、同じ「RSIと補填」のなかで藤田は「ラカンによるエクリチュール」は下記の3つの時期に分けられるとしている。この時期とこれから登場するエクリチュールとの関係も、この連載のなかで徐々に明らかになっていくはずである。
序の最後に、藤田博史がこれまで用いてきたさまざまなエクリチュール(図や式)に見られる3つのケースを以下のように分類してみる。
(1)はフロイト、ラカンのオリジナルな図や式をそのまま利用するケース、(2)はオリジナルな図や式はフロイト、ラカンからとり、その応用を試みるケース。最後に(3)藤田博史自身のオリジナルの図式を使用するケース。これらについても本文中であらためて具体的に指摘していく予定である。
(つづく)
2015.12