iPhoneArt03

第3回 デモから見るアートな光景

 昨年、安保法案を巡ってデモが注目を集めるようになった。しかしデモは昨年急に盛んになったわけではなかった。今回「iPhoneから見るアートな光景」というささやかなエッセイで、昨年筆者がiPhoneで気軽に撮ったデモの写真を掲載するにあたって、これらのデモのアートとの関係について書いておこうと思った。意外に長くなるがYouTubeの貴重な映像とともに紹介するのでしばらくお付き合い願えれば幸いである。

 さて、アートとデモの関係を考えるとき、浮かび上がってくるのはまず21世紀におけるアクティヴィズムの台頭である。20世紀後半のアクティヴィズムというとフェミニズムが重要な役割を果たしてきた(参考:「アート・アクティヴィズム」)が、2001年の「9.11アメリカ同時多発テロ事件」以降の世界で起こっていることは、21世紀におけるアートやアクティヴィズムのあり方に大きな影響を与え続けている。しかしそれは世界中を巻き込む壮大な話となる。ここでは2016年現在の日本のデモとの関係に焦点を絞ることにしよう。

 ということで、ここでまず最初にとりあげるのは、2003年イラク戦争へのアメリカの開戦に反対して行われた「殺す・な」デモのことである。これは呼びかけ人に美術評論家の椹木野衣、イルコモンズこと小田マサノリ、ギャラリストの山本裕子、文筆家の工藤キキら、美術関係者が多くいたこともあってか、多くの美術家が参加している。椹木野衣によれば「街頭ほかでのデモ活動には、会田誠、東谷隆司、石黒景太(=イルドーザー)、伊藤篤宏、宇川直宏、宇治野宗輝、加藤好弘(ゼロ次元)、田中偉一郎、中原昌也、西尾康之、松陰浩之、松本弦人、山川冬樹、山口晃、 ECDら、美術や音楽、デザイン界からジャンルを超えて多くの賛同者たちが集まった。また、画家の堀浩哉と映像作家の沖啓介による「反戦アート・ネットワーク」と協働することで、それまで政治や街頭での意見表明とは縁のなかった階層に、アクティヴィズムとアートを結ぶきっかけを与えた」。またこの「殺す・な」の街頭デモに参加した最若手にはのちのChim↑Pomの卯城竜太と林靖高がいたという。

 ここで特に注目しておきたいのは、デザインと音楽、そしてそれらを統合して一つのカラーを打ち出し、またそこで起こっていたことを映像や写真として記録に残し広く伝えていく、それら全てを含めたプロデュース力、である。現在注目を集めているSEALDsには、デモ班、デザイン班、映像班など得意分野において参加するという方式がとられているようだが、インターネットの発展とともにこうした方法がどのように変わってきたかもこれらの映像から分析することができるだろう。しかしここではただYouTubeに見られる映像を提示するにとどめる。

 そして現在のデモの光景に関しては、この連載のiPhoneから見るアートな光景という原則にかなうように、最後に主に昨年iPhoneやiPadで撮ったデモの映像をご紹介しておくことにしたい。

 まず最初は先述の2003年3月21日の「殺す・な!」デモの貴重な映像である。椹木野衣、イルコモンズこと小田マサノリ、元美共闘の堀浩哉、ゼロ次元の加藤好弘らの貴重な映像が興味深い。ちなみにこの前年に小田マサノリは「現代美術家廃業宣言」を行ない、イルコモンズとして、現代美術から離れ、アクティヴィストとして活躍していくのであるが、この映像を見ても、彼のリズム感だけが他と際立って違うことに気づく。言語化できる思想的違いもあろうが、体内に刻まれたリズム感の違いというのは実はなかなか大きいものではないかということも映像によって見えてくることであろう。


「殺す・な」デモ 2003年


 次は高円寺から発達していったデモの仕掛け人松本哉(はじめ)による「素人の乱」の映像を紹介する。わたしがこの活動に最初に注目したのは2005年「高円寺ニート組合」という団体名で放置自転車の撤去反対を訴える「俺の自転車を返せ」デモという画期的かつユーモラスなデモを敢行したことによるが、その後自らの経営するリサイクルショップの名でもある「素人の乱」の名称で社会運動にのりだす。といっても、動画を見ていただけばわかるように、ゆるい活動である。しかしこの後の反原発デモでも重要な役割を果たしていく運動なので紹介しておきたい。高円寺的なゆるさと都会的なセンスが楽しい。


「素人の乱」紹介映画予告編より

松本がはじめた「素人の乱」は
民衆の一揆という形式を使って個人の感覚と遊離しない
新たな市民的デモの形を作っていったといえる。
高円寺という場所がまたほどよいゆるさをこのデモに与えていたようだ。

 最近のデモというと、一般には昨年の安保法案反対デモの盛り上がりがよく知られているが、こうしたデモの形式が確立したのは、実は2011年の原発事故以降の反原発運動とデモの盛り上がりを背景にしている。以下はこうした反原発デモのいくつかの形を追ってみる。そしてここでは広い意味でのアートとの関係で現象を捉えていくというこのエッセイの趣旨から、主に音を使ったデモのあり方に注目していく。

 21世紀の反原発デモにはさまざまな音楽が使われてる。のちにSEALDsにも引き継がれるサウンド・デモの形も次第に確立されていく。まずは高円寺の2011年4月10日の反原発デモ。ミュージシャンも多い土地柄ということもあってか、ジャズやロックやヒップホップのミュージシャンなど、多様な人々が参加しているのか、さまざまな音が聞かれる。高円寺はいつの間にかデモの重要な発信地になっていた。祝祭的なデモの形がここにはある。日本にはデモがない、という神話が嘘のような光景がすでに2011年に展開していた。


高円寺での2011年4月10日の反原発デモ。

 近年のデモにラップが果たした役割は大きい。次はラッパーの ECDによる新宿での2011年6月11日の反原発・脱原発デモの様子である。ECDは、椹木野衣らによる「殺す・な」のデモにも参加していた知る人ぞ知るヒップホップ・ミュージシャン。彼のサウンド・カーを駆使してのベテランの迫力が見られる。


2011年6月11日の反原発・脱原発デモにおけるラッパーECD

 デモと音楽といえば、サウンドカーとともに大きな役割を果たしているのは打楽器だろう。ドラム隊の活躍はあちこちのデモ行進で見られる。これも2011年12月の反原発デモ、やはり「殺す・な」のデモにかつて参加していたイルコモンズ(小田マサノリ)のドラムが光る。



 さていよいよ2015年8月のSEALDsによるデモの映像である。奥田愛基と彼の盟友でラッパーでもあるUCDによるサウンド・カーでのデモ。彼らが過去のデモから何を引き継いできたかがわかるだろう。



 同じく2015年8月の高校生の団体T-nsSOWLによるサウンド・デモの初陣の様子。慣れていないということもあろうが、初々しさと若さを感じさせる速度が新鮮である。


2分15秒前後からサウンド・カーによる初陣

 2015年の新しいタイプの労働者の運動の萌芽を感じさせる「最低賃金あげろ」というAEQUITAS(エキタス)のデモ。労働問題を訴えるというテーマに合わせてかドラム隊とサウンド・カーが比較的泥臭く重い音をだしている。

 さて、以下は筆者自身が主に昨年iPhoneで撮ったデモの様子である。画質はともかく資料としてご覧いただければ幸いである。

SEALDsらによる2015年6月14日
「戦争立法に反対する渋谷デモ」
渋谷ではじめて駅ビルの二階からSEALDsのデモを見た
若い人たちが窓ごしに渋谷のスクランブル交差点を楽しげに見ている姿が印象的だった
とくに女の子たちがこれだけ夢中になるということは何かが起こるような予感がした
そして実際、これまでとは違う若者たちとそのデモの形式が次第に注目されることとなった

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2015年渋谷デモ風景 

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デモを見る人たち

2015年7月26日「だれの子どももころさせない」
「安保関連法案に反対するママの会の渋谷デモ」
全国からたくさんの母親父親が集結した

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子供を連れた母親たちが多く
パレードの距離は短く
給水ボランティアや保育士や看護師
そしてもちろん見守り弁護団など
さまざまなボランティアが活躍している
警察もさすがに紳士的である


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ママの会の渋谷デモを
歩道橋から見る

2015年8月2日「戦争法案に反対する高校生渋谷デモ」
高校生の団体T-nsSOWLのデモ
音や言葉の速さが若さと切実さを感じさせる


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サウンド・カーの上の高校生たち

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参加する高校生たち


2015年9月6日新宿「安保関連法案に反対する学生と学者による街宣行動」(SEALDs)

伊勢丹とマルイの間で行ったためもあってか
鈴なりの人だかりであった
労務者風の中高年男性や
元来あまりデモと縁のなさそうな年配の女性の姿が目についた
さまざまな層が混在するという意味で
新宿の街宣は新宿の街同様雑然としていて渋谷や銀座と比べても独特である

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伊勢丹前

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風船の下に政治家と SEALDsと学者たち




SEALDsとT−nsSOWLの「銀座大行進」街宣パレード

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青とオレンジの風船がシールズ
赤と黄色がT-nsSOWL

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銀座のソニービル前を通るデモ隊

MIDDLEsのフラッシュモブ

若者たちがラップやクラブミュージックを取り入れているのに比べ
音楽的趣味の違いを反映させたのが 中高年の集団MIDDLEs
クラシック音楽によるフラッシュモブと
ジョン・レノンの「イマジン」などの70年代的平和運動の曲によって
ラップやクラブミュージックやドラム隊の音に違和感を感じる層を引き入れる

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Middles の新宿フラッシュ・モブ

国会前のさまざまな光景
何万人が一度に集結すると
そこにもう一つの日常が現出する
以下はそんな様子も含めてのさまざまなスナップ写真

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国会前の夏、画面右はSEALDs 奥田愛基

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デモはさまざまな音楽の場でもある

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 国会前でもドラム隊をはじめとして
音があちこちから沸き起こる


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車道に人が溢れるの図を作らせないために
頑丈な防備がされている日の光景
周りにたくさんの人が溢れているのに
妙にがらんとした空間

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デモをする人々もいれば
デモを 観察する人々も
記録する人々もいる
車の上でカメラを構えているのは写真家の秋山理央氏
全国に赴き デモの様子を撮っているという


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国会付近には自動販売機はない
脱水症状を起こさないように
給水所は必需品

そのほか、救護班や見守り弁護団など
さまざま人々の協力がデモを支えている


最後に

 デモとアートの関係は、現在進行形のテーマである。そして21世紀のデモには新しい情報発信の仕方が求められてる。
 まずインターネットの普及によりデモのアピールの仕方が現場で起こっていることと同時的に世界に向けて発信が可能という二重の構造になっている。デモを効果的に運営するためには、そうした時代の変化に対応する能力が求められる。「事件は現場で起こっている」という臨場感、その場その時でなければ体験できないという稀少な体験と、それがインターネットを閲覧できる環境さえあればほぼ同時的に世界中から閲覧可能である時代。そこでは情報受信の体験が重層的になっている。とすれば、発信する側はその重層的な情報に対応する発信の仕方を自覚的に行う必要がある。

 またここでは取り上げることができなかったが、日本のサウンド・デモには同時代の他国のデモが大きな影響を与えている。そしてそれはこれから相互作用となっていくだろう。インターネットが当たり前の世代にとっては、「民主主義」は「世界同時体験」としてある。それは、ともすれば戦後日本社会に拘束されていた「戦後民主主義」よりは、さまざまな国のデモで同時的に唱えられている TELL ME WHAT DEMOCRACY LOOKS LIKE に呼応したものなのである。思想以前の「体験」の水準で、世界と自分を見る感覚が大きく変わっている。この変化は実は大変大きいのではないかということを、筆者はSEALDsの運動や言葉に接して強く感じた。
 また日本語圏内に限ってもSNSなどのさまざまな情報が複雑に交錯するなかで、情報の発信の仕方は複合的になっている。
 たとえばSEALDsのデモが短期間で多くの人の知るところとなり、さまざまな批判や好奇の目にさらされながらも持ちこたえているのは、ネットサーフィンという言葉があるが、情報をサーフィンする能力を若い彼らが持ち合わせているからだろう。デモという場を統御し安全に効果的に運営するだけではなく、さまざまな情報媒体に対してどのように効果的に自分たちの主張を伝えていくか、そのために何が必要かを言葉だけではなく映像や音などさまざま媒体を通して的確に見分け、取捨選択し、必要なものを効果的に拡散していく。その点において若い世代の能力には目を見張るものがある。現在進行形のデモの光景からはそうした時代の変化も見えてくるのである。

 そこに新しいアクティヴィズムやアートが現出するのかという可能性についても気になるところである。しかしそれらのことについて語るには稿をあらためなければならない。


2016.4