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「あいちトリエンナーレ」のジェンダー平等と「東浩紀の変節」

榊山裕子   

津田大介の感銘

 「あいちトリエンナーレ」は、「表現の不自由展・その後」の展示作品の問題で大きく注目された。その余波は今も続き、議論も継続している。しかし、もともとこのトリエンナーレで注目されていた出品作家のジェンダー平等の問題はすっかり影に隠れてしまった。ここでは、あらためてこの問題にささやかながらスポットライトをあててみたい。

 なぜ芸術監督、津田大介はこのような決断をしたのか。彼はしばしば東京医大の入試における性差別が一つのきっかけであったと述べている。タイムリーでわかりやすい理由である。しかしその決断をするための動因として、「東浩紀の変節」があったという彼の言葉にわたしは興味をもった。彼はそのことを「ジャーナリストが芸術監督になるということ」(「ゲンロンβ37」)のなかで次のように書いている。

   「なぜ、このとき僕はジェンダー平等にするということを決断できたのか。実は決断時、僕の頭のなかにはここ数年の「東浩紀の変節」がありました。」(津田大介)

 「東浩紀の変節」とは何か?津田は次のように続ける。


   「元々彼は今回のようなアファーマティブ・アクションについて、(その必要性は認めながらも)自身の編集する雑誌やゲンロンカフェの登壇者に『女性が少ない』と、外部から女性登用の必要性を責められるような形で求められることに強い反発を示していました。」(津田大介)

 東浩紀といえば、1990年代に『批評空間』に若手批評家として華々しくデビュー、1998年に出版された『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』が、浅田彰の『構造の力』以来の評判を呼んだ。浅田彰が、「私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」 と述べたことも、その部分だけ切り取られて神話的に語られてきたものである。

 たしかにある時期、東はこの国の思想界でほとんど「ひとり勝ち」のようにさえ見えた。たとえば評論家・佐々木敦は、その帯に「現代を代表する思想家の対立、論点を読み解く」と銘打った著書『ニッポンの思想』(2009)のなかで、「本書で取り上げてきた『ニッポンの思想』のメイン・プレイヤーは、『八〇年代』は浅田彰・中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人の四名、『九〇年代』は福田和也、大塚英志、宮台真司の三名ですが、『ゼロ年代』は東浩紀ただ一人しかいません」と書く。そして「まさに「東浩紀ひとり勝ち」という状況こそが、「ゼロ年代の思想」の、そして「ニッポンの思想」の、こう言ってよければ「結論」なのです」と断言している。2009年のことである。「ゼロ年代後半から登場してきた「思想」は、おおむね「東浩紀のゲームボード」の上に」あったと佐々木はいうのである。

 それからわずか10年の間に何が起こったのだろう。大きな転換は3.11だったように見える。「ニッポンの思想」という、カタカナで表記した方がしっくりくるような思想が、隆盛を極めていた時期はいつの間にか過ぎていったようである。

 そんな昨今、東京医科大学医学部の不正入試問題がニュースとなり、今年4月には、東京大学文学部入学式の上野千鶴子の祝辞が賛否両論の波紋を呼んだ。津田によれば、その少し前から、東浩紀の変化ははじまっていたようである。


   「そんな彼が一年半くらい前――確か二〇一七年の秋だったと思います――に、突然それまでとまったく違うことを言い始めたのです。僕の記憶ではこのような趣旨を言っていたように思います。

   『これまで女性プレーヤーが少ないから、女性をゲンロンやゲンロンカフェに呼べないと言っていたけど、それは間違っていた。そんなことを言ってるから批評は閉じたままなんだ。反省して今後は、女性を増やすことを意識的にやっていきたいと思う』」(津田大介)

 津田は、批評、哲学、そして経営においても結果を残してきた東浩紀という人物が、ジェンダーの問題に正面から向き合おうとしたことに「不思議な感動」を覚え、「このときの体験が僕のなかで潜在意識としてすり込まれ、今回のトリエンナーレのジェンダー平等方針を思いつくきっかけになった」のではないかと書いている。


東浩紀の変節

 さて、このようにトリエンナーレのジェンダー平等方針に大きな影響を与えたという東浩紀の「ジェンダー平等」認識というのはいかなるものなのだろう。東浩紀の最近の発言を知るために、ニコニコ生放送で今年の4月8日に放映された「津田大介と東浩紀による『あいちトリエンナーレ2019が始まってもないのに話題沸騰してるけどその裏側を語るならやっぱりニコ生しかないっしょ』SP」を視聴してみることにした。

 東の発言は多岐にわたっているが、筆者が興味深く思ったのは次の二つの発言である。


   1「ルールがはっきりしていなくて異種格闘技をやって表現している時には見る側の方が多様でないと判断できない。そういうことが今問題になってきているんです。これは美術だけではなくて。」

   2「限界を意識する。自分が責任ある立場にあるからこそ、自分の限界を見なければならない。これは女性に下駄を履かせるという話ではない」

 まず1について、彼はこの発言のあとで「世の中のルールとかがどんどん変わってきた時に、見る側が多様でないと判断できないという現実認識がある」と述べている。アートにおいても、文学においても、ルールが明らかに決まっていた時代には、そのルールにのっとって選別が行われればよいのだが、ルール自体が多様になった「異種格闘技」の時代には、見る側にも多様性が要求されるのだという。そしてこの多様性は一人の人間がどうこうできるものではないということである。

 このことは2の発言につながる。すなわち「限界を意識する」ということである。たとえば「ストレートの男性で、在日でもないし、東京出身者で、異性愛者で子供がいる。批評家としてダメと言われている。この構造自体がヘイトだよ。僕の属性だけで判断している」と東が述べる時、これまでならばプラスであった要素がマイナスの要素として批判の目にさらされていることがわかる。これまでならばあまり意識されることのなかった「マジョリティ」の属性が、一つの限界として意識させられているのである。しかし、これは異性愛者だから限界があるとか、男性だから限界があるということではなく、誰もが限界を持っているということである。

 「多様性の時代」ということがよく言われるが、多様性の時代とは、このように誰もがおのれの「限界を意識する」ことを必要とする時代である。男性には男性の限界があるのだから、判断する側に、決定する側に、語る側に、表現する側に、女性を増やすのは当然の選択ということになる。これは多様性の時代に対応するには、いまだ女性が少ない過渡期においては、意識的に増やす必要もあるということである。また男性といっても異性愛者であるか同性愛者であるかによっても判断が異なってくる場合もあるだろう。だからできるだけ多様な属性をもつ人を判断する側に置かなけれがならないということになる。

 もう一つ、東が指摘していたのはアートや文学の選考において多様な人間が必要であるということについてである。まず男女比の偏りを解消する必要があるということに関して、男性の選考委員ばかりで選んだアート作品について、客として見にきた東の妻が、「そこに隠された」差別的な構造を一瞬で見抜いたという例を挙げている。説明されればそこにある差別的構造は男性にでもわかる。しかし多くの作品を瞬間的に選別していく選考においては、スピードが要求される。たとえば男性の作家の側に立って見るか、そこに描かれている女性の側に立って見るかを人は瞬間的に無意識に設定している。この設定を解除してあらためて別の立場から見直すことは可能であるとしても、スピードを要求される選考においてはむずかしいと考える。

 ここには可能性と限界の二つの要素があると思われる。まず「説明されればわかる」ということは一つの可能性である。身体的に瞬時にわかるかどうかは別として、言語で理解するということを互いの前提にしないと、異なる属性を持つ人間同士がそもそもおおまかにであれ、同じゲームを共有してアートなり文学なりを選別することはできないだろう。つまり言語化することで一定の理解が可能となることで差別的構造も共有され得る。ただし「説明しなければわからない」ということは限界でもある。各々がその立場において、その限られた体験、限定された身体、最初に習得した言語、などの限界を持っている。この限界をいったんフラットに見る必要がある。つまり各々の限界は同じように限界であるという認識を持つ必要がある。

 これは言われてみれば至極当たり前のようであるが、女性やマイノリティの限界のみが云々されていた時代はつい昨日のことであったことを思えば興味深い認識であると言わねばならない。

 さて、これまで特に女性の問題に興味をもってこなかった東と津田は、なぜこの時期にこの問題意識を共有しえたのか。

 彼らは団塊ジュニア世代である。それはすなわち彼らの母親が男性と同じ教育を受けた団塊世代であるということである。戦前の教育においては、頭脳的に優秀であるか否かにかかわらず、女性は男性と同じ教育を受けることができなかった。しかし彼らの母親の世代は、社会に出るやいなや就職などでさまざまな差別を受けてきたにせよ、基本的に男性と同じ教育を受けて育っている。彼女たちは、夫と同じ言語ゲームを共有していて、政治についても、子供たちの教育についても、家庭のなかでも普通に話している。子供たちはそういう環境の中で育つ。津田の場合は、父親が学生運動に関わり、その後は労働運動や政治運動に身をささげていたため収入は不安定であった。母親は、労災事故にあい後遺症に苦しみながらも、国立大の大学職員として働き続けていた。母は父の活動を尊敬し、父はすすんで家事や育児に関わっていたという。

 フェミニズムの必要性、ジェンダー平等の必要性については、知性があれば言葉で理解することができる。しかし知性で納得するには一定の時間がかかる。瞬時の判断のとき、またいざという決断の際に行動するには、身体にも及ぶなんらかの確信がなければならないだろう。言葉と身体が呼応するような感覚である。これが正しい、これこそがあるべき形だという感覚である。ジェンダー差が強調されることはなんかしっくりこない、という身体感覚を持つ人たちが増えることによって、ようやくジェンダー平等は少しずつ可能になっていくのかもしれない。

(さかきやまゆうこ 評論家)